今日は二十四節気の「大雪」です。
15日前の「小雪」に対して、大雪が降る時期、暦は、もう冬真っ盛りの季節に入りました。
『暦便覧』では「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」。
降るだけでなく、重ねる=積もるほど、激しく雪降りつむから「大雪」なのだと言っております。
つまりこんな光景がくりひろがる頃ってことでしょうか。
が、もちろんこれは数年前に東北の街で撮ったもの。
東京地方は、雪の時期はまだ早く、小春日和の晴天の日が続いたりもします。
しかし、昨夜、福島に住む母からのメールは、「外が真っ白!雪が積もってます!!」
…だって。
寒い土地から雪便りが届くのは、やっぱり今ごろでしょうか。
雪便りは、北国で暮らした記憶のスイッチ。
それはもう不思議なぐらい。
私の場合、「どこかで雪が降ったよ!」という知らせは、北国で育った、雪にまつわる心地よい記憶を運んでくるようで、それもこの時期の気づかなかった楽しみかも。
たとえば…。
今晩は冷えるなぁと、湯たんぽを入れてぬくぬく眠りについて…ふと、普段と違う静けさのなかで目覚め、いぶかしがりながらカーテンを開けた朝の雪の光景。
外は、何もかも雪で覆われていて、嬉しいような、驚いたような、これから始まる日常にとっては少し厄介で困ったような
…そんな気分とか。
あるいは、雪が、日常生活の「音」までも隠してゆく不思議とか。
この雪が降ると静かになるって気のせい?
と、ずーっと思ってきたものですが、このブログを書くのに調べてみたら、雪の結晶は小さな隙間をたくさんもっていて、音はそこに吸い取られてゆくんだとか。
へーっ、そうなんだぁ!
そうして作られた清浄で静かな世界に、ふと屋根や木々の枝から降り落ちる雪の音。
古人は、この音に「垂り雪(しずりゆき)」などという言葉を用意して雪景色に音の風情まで楽しんだ。
こんな単語を、なぜか子どものころから知ってるのは、やはり、雪国で育ったせいにほかならない。
覚えたのは、しんしんと雪降り積む日だったかなぁ…とか。
積もった雪の下で、動物たちは、ゆっくり冬篭り
…なのでしょうが、ヒトはそうもいきません。
「大雪」の声を聞いたとなれば、いよいよ、あとがないっ!って感じの焦燥感。
そもそも、現代は、忘年会やらクリスマスやらで浮かれ気味。
そして、そろそろ新しい年の年神様をお迎えする準備に入るわけですから、もう大忙しです。
昔のヒトなら、お正月に必要な薪などを山へ取りに行き、その後は、煤払い(すすはらい)、松飾りの準備、お餅つき…etc。
つい最近まで紅葉狩りだなんだと秋を楽しんでいたはずなのに、冬に入ったと思えば、もう、来る年、初春を迎える準備がなだれのように押し寄せてくる。
まあ、そんな冬の日常にも、来る春の気分が隠されているかのようで、それはそれで楽しいんですけどね。
そういえば、万葉集の世界では、冬の営みであるはずの「冬篭り」は、実は春の枕詞なんだそうです。
ほらね、そこにも次の季節の気分が紛れ込んでいる。
四季折々を断ち切ることなく巡って暮らす日本人は、いつも今の季節に次の季節の心地よい予感を抱いて暮らす。
そんな民族でもあるのです。
◆今日は、2014年12月7日/旧暦10月16日/神無月壬子の日
◆日の出 6時37分 日の入16時28分/月の出17時22分 月の入 6時48分