お節料理を作るつもりで、毎年一品。今年は、筑前煮をめちゃめちゃ丁寧に作ってみました。/12/30=旧11/9・乙亥

いよいよ、今日は晦日、2014年も残すところあと1日です!

明日はいよいよ大晦日。
となれば、かつては、おせち料理の準備に余念なしといった日でしょうか。

近ごろは、デパ地下や通販のおせち流行ではありますが、何も作らないのはやっぱり寂しい。
とはいえ、我が実家も、お雑煮やお汁粉などは、かなりこだわって作るが、きちんとお節料理を作るという感じの家ではなく、すぐに普通の食事に戻るという感じ。

たしかに、お重の蓋を開けた瞬間は、
わーっ!すごいっ!
おいしそう!!

とか思うけど、あとは飽きちゃうもんねぇ…。

気の張る来客があるのでもなければ、我が実家の考え方のほうが合理的かもしれません。

お節料理には、願いが込められている

細かいところにこだわって、何か意味を見出そうとするきらいがあるニッポン人。

お正月に台所に立たずにすむよう、あらかじめ作ったごちそうをお重につめる。
…という、合理的な行為にも、やはり、なんらかの意味を与えた。

たとえば、関東地方の「三つ肴」、「黒豆」「数の子」「田作り」に込められた意味はこんな風。

・「黒豆」⇒黒色は、邪を除ける。
そして、来年もマメに暮らせるようにと願いを込める。例によって語呂合わせですが(笑)。

・「数の子」⇒春告魚「鰊」の子どもというのがそもそも縁起良く。
ぎっしり詰まった卵の数にあやかって、子孫繁栄を願ってみた。

・「田作り」⇒干した片口鰯を炒って甘辛く煮詰めたもの。
かつて鰯は、田圃の高級肥料。使えば豊作といわれ、転じて、それを食して今年の五穀豊穣を願う。

…という具合。

とにかく、そのほとんどにニッポン人は、「願い」を込めたってわけです。
しかし、その願いは、健康で、家族が増え、収穫もある…と、非常に基本的なささやかなコトである。

詳しくは忘れましたが、何かをきっかけに、このコトを知り、なんとなく胸が詰まるような、じわっと感動を覚えるような、そんな風に感じたモノです。

ついでながら…。
・「三つ肴」⇒三は、完全を意味する数字。この肴と屠蘇が揃えば、とりあえずお節料理は揃ったといえる。
・「お節料理」⇒歳神サマと共にいただく膳という意味。

お節料理の一品ぐらいは作って、年越しをしようか

この「お節料理」の意味を知ってからこっち、なんとなくそうゆうモノをちゃんと作れるヒトへの憧れが強くなる。
で、数年前から「お節料理」を1年のに1品ぐらいは作ってみよう…などと思い立つ。

まあ、「お節料理」の練習といいましょうか(笑)。

いちばん最初は、「黒豆」ぐらい作ってやろうとトライ。
最初の年は全然柔らかく煮えなかった我が「黒豆」も、2年目はなかなかの出来。

黒豆

昨年は、「伊達巻」で、さあ今年はどうしよう。

ってことでいつもかなーり適当に作る、「筑前煮」を、すごーくきちんと作ってみました。

といっても、切り方をできるだけ体裁よく。
ごぼうとレンコンはきちんと晒す。
蒟蒻は下茹でをして、調味料もきちんと計る。
…ぐらいの丁寧さなんですが(笑)。

で、本当は、お重に詰めるものでしょうが、もってないので、まげわっぱのお櫃に詰めてみちゃいました。

筑前煮

ふーむ。
なかなかいいんじゃあない?

来年は、黒豆も伊達巻も作って、お正月仕様につめてみようかしら?
お重に詰めないお節料理だっていいんじゃあない?

カミサマに捧げた供物をいただいて、聖なる火で煮炊きする。

それを膳に仕立ててカミサマとともにお食事することを「直会(なおらい)」といいますが、お節料理は、そのもっともポピュラーで大切な「直会の膳」。

それらを整える時から、もうそこに祝いの気持ち、カミサマをお迎えする気持ちが息づいている。
ちょっと手抜きをしたって、豪華なお重でなくたって、やっぱり、この手で準備したいな。
…と、年を重ねるに従いそんな風に思うようになりました。

不思議ですね。

…で、タッパーに詰めて、東北の母の家への土産にしようと。
しかし、そのまま冷蔵庫に忘れましたっ!

ううっ(涙)。

寒いから、無事だろうな。
帰京時の楽しみにします。

◆今日は、2014年12月30日/旧暦11月9日/霜月乙亥の日
◆日の出 6時50分 日の入16時37分/月の出12時19分 月の入 0時39分