2月23日は、二=ふ、二=じ、三=さんで、富士山の日。記念日って圧倒的にこんなのが多いけど、制定した人たちがステキです。/2/23=旧1/5・庚午

えーっと、またも完全なる語呂合わせによる記念日です。

が、語呂を合せようともダジャレだろうとも、相手が富士山なのでまあいいかと思う。

ついでに言うなら、乾燥して空気が澄んだ冬場は、富士山を眺めるには適した季節。
今はビルに邪魔され見えなくなった、ご近所富士見坂の富士山を1年通しで定点観測したことがありますが、春は霞がかかり、夏は、富士山付近に雲がかかって観測不能。

しかし、今ごろならば、早朝も。

早朝の富士

夕暮れ時の富士山もばっちり。

夕暮れ時の富士山
(繰り返しますが、今は、ビルに隠れて、この美しい富士山は見えません…涙)

ってコトで、語呂合わせなくとも、この2月こそが適切な「富士山の日」なのかもしれません。

…って、そもそも富士山の日のいわれって、富士山を眺める日ってコトだっけ?

制定は、1996年1月1日。パソコン通信の「山の展望と地図のフォーラム」による

てっきり、富士山の見える県のどこかが制定した記念日と思っていました。

が、富士山好きのヒトたちが言い出したコトだったみたい。
→詳しくはこちら「富士山の日 について」と、せっかくなので山の展望と地図のフォーラムのサイトも。

いいなぁ。
こうゆうのって。
で、その由来を引用させていただきますと…。

<223=ふじさん。これはまた「ふじみ」とも読めるからです。(^_^) 富士可視圏はまだ展望シーズンで、白妙の富士を眺めることのできる時期でもあります。>

とあって、富士山を眺めるも富士山の日にふさわしい行動のようですね。
よかった。

とはいっても、眺められる場所は、もうことごとくビルに隠れ、もうないかも?

しかたないので…。

葛飾北斎の代表作「冨嶽三十六景」から、勝手に東京からの富士山を妄想す。

葛飾北斎の代表作「冨嶽三十六景」の46図のうち、江戸から見た富士山の絵は18図。
(以下、17図ぜーんぶウキペディアの図にリンクを貼りました、よろしかったら、ご覧になりながらお読みください)

1.江戸日本橋→日本橋川に架かる日本橋から、一石橋、江戸城。そして富士山。これって、さしずめ十間橋からスカイツリーを見る感覚ですよね。(逆さスカイツリーならず逆さ富士はむりだけど)

2.江都駿河町三井見世略図→現在の中央区日本橋室町から見えるはずの富士山。瓦職人が作業をしているのは、三越の前身、呉服の越後屋。つまり、日本橋三越界隈の高層ビルからなら今も富士山が見えるのかも?

3.東都駿臺→現在明治大学や三省堂書店のある駿河台のあたりからも見えてたんですね...富士山。実際、富士見坂という名の坂(看板のみあります)があるのがその証拠。今は、見上げればビル、ヒトの視界に入ってくるのはごちゃごちゃした商店街と車って感じの景観で、江戸の当時とはあまりにも違います。

4.東都浅草本願寺→浅草寺よりやや上野よりにある、本願寺。その大屋根越しに富士を遠望しつつ、江戸の町並みを見下ろすの図。ってことは、今もあの大屋根に上れば富士さんは見えるのか?…と妄想。

5.本所立川→場所は、隅田川の東岸に位置する本所深川のあたり。江戸の当時は材木屋が多かったのかな?富士山を見ながらシゴトってのがオツ。

6.深川万年橋下→万年橋は、今も深川の小名木川に架かる橋。近くに芭蕉歴史庭園があるので、渡ったこともあるけれど、あそこからも富士山が…信じられない。ちなみに、北斎は、この深川万年橋付近に住んでいたことがあるらしい。

7.五百らかん寺さざゐどう→羅漢(らかん)寺はかつて、亀戸村(江東区大島)にあって(現在は目黒区に移転)、境内には、回廊が螺旋状に続く三匝堂(さんそうどう)があり、その形状から「さざえ堂」と呼ばれていたんだとか。その回廊から隅田川ごしに臨む富士山。ああ、いいなぁ。

8.青山圓座枩→円座の松は、原宿村の龍巌寺境内にあった名木。今は松はなさそうだし、富士山もぜったい見えないだろうけど、寺は渋谷区神宮前二丁目
にあるそうです。っていうか、原宿から富士山ってこんなに近くに見えた?それとも芸術上の誇張かな?

9. 隠田の水車→隠田も、現在の渋谷区にあった村。いまや暗渠の中を流れる渋谷川だけど、江戸時代には、水車まであったんだねぇ。いまもビルなどなぎ倒すと富士山がそこにあるわけですね。

10.下目黒→渋谷から富士山が見えたなら、目黒周辺だって!ってことで、のどかな田園風景の時代は富士山もばっちり。そういえば、以前、目黒駅から恵比須方面へちょっと戻る途中の坂からひょいと見たら、完璧なカタチの富士山を見たことがあります。
今はどうなんだろう?晴れた日に確認にいこうかなぁ…。

11.礫川雪ノ旦→礫川は、現在の文京区小石川あたり。その界隈に眺めのいい茶屋があって、客たちが積もった雪と富士を楽しむ…の図。

12.御厩川岸より両國橋夕陽見→両国と蔵前をつないていた、通称「富士見の渡し」こと厩の渡し。日没直後の残照でシルエットになった富士山を見ながら、隅田川を渡ってたんだ。乗りたいわ~。

13.隅田川関屋の里→関谷は、日光街道の宿場町千住宿、現・足立区千住のあたり。あんな場所からも富士山…かあ。いや、都心よりはビルが少ないから、案外、今もどこかから見える?

14.武州千住→やはり、日光街道の宿場千住宿、つまり今の荒川区と足立区のあたりからの富士。

15. 従千住花街眺望ノ不二→現在の台東区の山谷のあたり。すると塀に囲まれた家並みは吉原の遊郭かな?参勤交代の列は、東北方面に向かうのだろうね。逆に、東北から上ってきて、江戸の入口で富士山が見えるってコトですよね

16.武陽佃嶌→現在の佃島からの富士。っーことは、今あそこに建っている高層マンションからは富士山が見えるんだぁ…っていっても、別に住みたくはないけどね。

17.武州玉川→多摩川から臨む富士山。そういえば、今も東京駅からJR東海道線で横浜方面に向かえば、川崎の手前、多摩川辺りで富士山が見えます。電車に乗り込むときは、進行方向右の出入り口際を確保、富士見に備えましょう。

18.東海道品川御殿山ノ不二→現在の品川区御殿山からの富士山。江戸時代には将軍家の品川御殿が置かれ、のちに桜の植樹もされた。花見をしつつ、パーフェクトに見える富士。うらやましすぎ。

江戸は、天候に恵まれさえすれば、いつでも富士山に出会えた街だったんですねぇ。

現在の東京は、高いビルが密集。
わずかに残っていた富士見スポットもどんどん無くなってしまうけど、北斎の絵を見れば、どんなに町が変化しようと江戸東京は同じ場所にあり、一方、富士山も同じところにゆったりといる。
…と、確信させてもくれますね。

だから、よくよく注意すれば、まだまだ意外な場所で富士山に出会えるかもしれません。

たとえば、荒川からの富士山

荒川からの富士

ここは、何度も通っていた場所だったのに、教えてもらってやっと気づいた富士見のスポットです。

とにかく、晴れた日に見晴らしの良い場所に来たら、必ず、西の方向を眺めてみよう。

…そんな風にココロ新たにする、今日の富士山の日なのでした。

◆今日は、2015年2月23日/旧暦1月5日/睦月庚午の日
◆日の出 6時19分 日の入17時30分/月の出 8時57分 月の入22時25分