『古事記』は、712年(和銅5)年1月28日完成
って言うのは、知る人ぞ知る歴史的事実ですが、それって旧暦だよな。
グレゴリオ暦だと?
…と気まぐれに調べてみたら、なんと!3月9日 今日じゃんっ!!
1300年以上の昔の今日、『古事記』は完成。
太安万侶によって元明天皇に献上されたというわけですねっ!
なーんか、にわかにこの日にただならないロマンを感じたりしております。
成り立ちの意図から言えば、これが、日本でもっとも古い歴史書の誕生
けれど、現代人にとっての「古事記」は奇想天外な神々たちの物語。
「歴史書」っていうより、やっぱカミサマたちの物語=「神話」だな。
…つまり千年前の日本人が口承で伝えてきたお話の集大成と割り切って読むものだと個人的には思っています。
しかし、だからこそ、そこに繰り広がる荒唐無稽というか、おおらかさというか…が、面白い。
現代語訳が多く出ているのも、やはりその圧倒的な面白さにひかれてのことなんろうなと思うのです。
今日も『古事記』を紐解いてみようか
ここ数年は、なぜか、クリスマスの日に紐解くのが習慣…だったりする私。
手持ちの蔵書もけっこうたくさんあるのですが、今日は、せっかくだから、懐かしい一冊を読もうっ!
と紐解いたのは、松谷みよ子さんの『日本の神話』
本書は、私が小学校時代の図書館の蔵書の定番で、今もあるのかなぁと、図書館を探したところ…
なんとも、ずいぶんモダンな装丁で復刻していました。
めくるめくカミサマワールドの面白さ。
内容的にも『古事記』の前半、「神代編」を余すことなく網羅しているコトにまずは感心。
第一章は、ちゃんと「国生み」=「イザナギ・イザナミの国生み」の話ではじまって…。
次章は、黄泉の国と現世を隔てる「黄泉比良坂」へ。
大スペクタクルな戦いののち、黄泉の国から戻ったイザナギがひとりで産み落とした、アマテラス、ツクヨミ、スサノオのくだりは「三人の神々」。
「荒れるスサノオ」のせいで、アマテラスが隠れた「天の岩戸」と続き。
…ちょっと本題からずれるけど、この本の章タイトルに添えられたイラストがいちいちステキだわ…とも思う。
その後も、「ヤマタノオロチ」でスサノオのオロチ退治⇒それが縁で結ばれたスサノオ&クシナダヒメの子孫が無理くり大きくした出雲の国の話は「国引き」で。
そして、「袋を背負った神」にてオオクニヌシノミコトが登場っ!
因幡の白兎の話で知恵と優しさを持つカミサマぶり、そして、根の国での災難、「蛇の室屋」での災難を潜り抜け、「異国の神 アメノヒボコ」と一緒に国造り、「こびとの神」スクナビコナと国治めに着手して…。
高天原のカミサマへの国譲りのいきさつも、新しく国を治めるニニギ、その妻コノハナサクヤヒメ、その子である海幸彦&山幸彦、山幸彦とトヨタマヒメの婚礼と別れ。
ふーむ。
ちゃんと『古事記』そのものです。
って当たり前だけど(笑)。
一度読んでみたいなぁと思ってはいるけど、いきなり本編はどうも…というなら、この『日本の神話』を読んで、ざっくり物語を把握してからってのがいいかもね。
…と思いつつ「あとがき」もちゃんと読む。
で、この面白い話が『古事記』という難い名前の書物から編み出されたものだというのも、この本の「あとがき」を通じて松谷さんから教えてもらったんだっけな。
というコトまで思い出しました。
『古事記』って、静かに読み物としての復活をとげてない?
『古事記』は、戦前、行き過ぎた国粋主義のよりどころとして利用され、敗戦後はその反動で教育の場や研究の場からの排斥され翻弄されたという悲しい歴史を持つ書物。
さらに、高度経済成長期からバブルの時代にかけては、そんな実社会に役立たない古い話を学んでどうするの?
という取扱いだった気もする。
大学の『古事記』の講座があったけど、不人気極まりなかったもんね。(面白さを知ってたら、ぜーったいに取ってたと思う)
だから、小学生時代にいちはやくその面白さの一端に触れたというのに、ちゃんと読んだのは30歳をすぎてからだったりします。
しかし、古事記編纂1300周年を迎えた2012年あたりから、新訳や関連図書の出版物がかなり多くなってきたみたい。
神社ブームも後押ししたのか、『古事記』は密かに市民権を復活させた気配あり?
ふーむ、かなりいい傾向かと思います。
私たちは、神さまのことを勝手に「立派な方々」と決め付けているきらいがあるけれど…
『古事記』に登場する神様たちは、おおらかで無邪気で、猜疑心やら嫉妬やらも強く、ひとたび暴れれば手の施しようがない乱暴物。
こういってはなんですが、実はとんでもない存在かも?
ちなみに、『古事記』の成り立ちですが、
天武天皇が、様々な伝承から正しいと思うものだけを稗田阿礼に語って暗誦させ
⇒数代先の元明天皇が太安万侶に記録に残せと命じて完成したもの。
ちょっとうがった見方をすれば、為政者による作為的な取捨選択の産物でもありますが、ならば、この傍若無人なカミサマ方のキャラクターはいったい?
と思いますよね。
こんな立派じゃないとこがたくさんあるカミサマでもよかったの?
…とか。
つまり、選んだ物語のフィールドは、多くの古代人のイマジネーションとクリエイティブな力の蓄積。
その影響から逃れるコトはできなかった?
まあ、勝手な思い込みかもしれませんが(笑)。
だから…
たとえば、自然に対して人々が感じた脅威と畏怖
それが、これらの神さま方のキャラクターのよってたつところなのかな?
…とか。
神さま方は、人の都合をずーっと超えたものであるならば、時に激しい天災が来るのも道理。
それでも、自然を敬い、逆らったり貶めたりすることがあってはいけない、そのことを忘れてはいけないよ。
…とでも古代人たちが時空を超えて、伝えているかしらん?
と言う風な気分で、私は読めて好きなのです。
そして、今日も、その思いを深くしつつ、『日本の神話』をそっと閉じます。
ああ、面白かったっ!!
…って、気づけばずいぶん長々とっ!
今年、このブログはスキっと短めに書こう!
と思っていましたが、なんだか、超長くなってしまいました。
すみませんっ!!
◆今日は、2015年3月9日/旧暦1月19日/睦月甲申の日
◆日の出 6時01分 日の入17時43分/月の出20時55分 月の入 7時37分