旧暦6月1日の今日は、かつて「氷の朔日」と呼ばれた日。
天然の雪や氷を貯蔵しておく場所を「氷室(ひむろ)」と言って、日本人は、平安時代からずーっと長い間利用してきたみたい。
電気で冷やす冷蔵庫ができたのは、昭和のはじめだから、人工的に氷を作れるようになったのは、ごく最近。
だから、それまではずーっと「氷室」は非常に重要な場所だった
…というのは想像に難くありませんね。
「氷の朔日」は、その「氷室」を開く日で、夏が始まる旧暦6月1日と決められていて、宮中では、中の氷を食べる「氷室の節供」が行われたそう。
この日、希少な氷は、臣下にも分け与えられたそうです。
時代が下がって武士の時代になると、大名たちが、この日、氷を将軍に献上するようなった。
ちなみに、「氷室」は、その役割から考えても、通年涼しい深い山奥などに置かれるはずのもの。
そこから、将軍の住まう場所まで、どうやって凍ったままの氷を運んできたんだろう?
…そこには、相当なドラマがあったのではないかしら?
そんなことも気になってしまう私です。
氷の朔日といえば、加賀百万石前田家がゆかり深い
氷室の朔日の行事は、江戸時代にまでも続き、特に加賀百万石の前田家から江戸の将軍家へ氷が贈られていたというのが有名。
このブログを書くにあたっての最強なる参考書のひとつ『東都歳時記 2 (東洋文庫)』の6月の章にもその記述があります。
<氷室ヒムロ御祝儀(賜氷シヒョウの節) 加州侯御藩邸ヤシキに氷室ヒムロありて今日氷献上あり。
町屋にても、旧年寒水を以て製したる餅を食して、これに比ナゾらふ。>
「加州侯」=加賀百万石の大大名であった前田家のこと。
献上先はもちろん徳川将軍です。
当たり前ですが、当時、氷は希少中の希少品。
庶民の手にわたるはずもなく、しかし、あやかりたい人々は、氷の代りに、<旧年寒水を以て製したる餅>、寒い冬に寒風にさらした餅を戻して食べたってコトも書かれていますね。
そして、個人的には「当時の江戸に氷室があっただとぉ!?」と興味津々。
その場所は、「加賀の御藩邸」⇒今の東京大学本郷キャンパスですよね。
前田家由来の東大赤門まえで、氷室菓子を買う
東大赤門が、前田家由来のモノであるのはあまりにも有名です。
というコトで、何か痕跡はないかなぁ(もしかして氷室跡とか?)…と、帰宅途中に遠回りして東大赤門前へ。
おおっ!さっそくありましたっ!
場所は、東大赤門前の和菓子店扇屋の店頭。
加賀の涼菓「氷室(ひむろ)」と書かれたパッケージを発見!
とりあえず入手いたしました!
ここに書かれた「お雪献上」って単語にも惹かれますね。
氷ではなく、冬に藩邸内に積もった雪を氷室に保管して、夏になって徳川家に献上したもの…と書いてあります。
氷に雪。
って夏になると、懐かしく慕わしいアイテムです。
寒い時期には、厄介者扱いしがちですが不思議ですね(←単なるわがまま・笑)
中味は、氷を模した?とにかく涼しげなお菓子です。
寒天で固めた中に、うっすらオレンジ色の楕円形のものがならんでいます。
このお菓子は、餡と杏を葛でよせたものらしい。
ちなみに、杏も氷の朔日に由来ある果物なんだとか(お店の方談)。
いただきまぁす~♪♪
ふーむ、なんともいえない甘酸っぱさ!うまいっ!
7月に入ってもしばし、雨続きで涼しい日が続きましたが、けっきょくまっさらな夏に突入!
甘いものなら、こうゆうフルフルしたものがぴったりです。
「氷の朔日」の氷室饅頭
さて、この扇屋の方によれば、前田家のお国許、金沢には、古くから伝わる「氷室饅頭」というのがあるのだとか。
私「あらっ!それってどんな?」
扇屋さん「ふつうの丸い酒饅頭ですが、彩りがきれいなんですよ」
うわーっ、興味あるぅ!
って、画像検索したらあっさり登場⇒氷室饅頭。
ネットって便利ですね。
そして、便利ついでにお取り寄せもしてみたい。
この饅頭は、加賀⇔江戸の約120里(=480km!!)という長距離を無事氷を運び終えることを祈願して神社に備えたのがルーツとか。
当時、氷は笹や筵に包み、なんと飛脚が昼夜走り続けて運んだんだって!
転じて、金沢人は、氷の朔日(正確な旧暦6月1日ではなく、月遅れの7月1日となっている)氷室饅頭を食べ家族の健康を感謝するのだとか。
しかし、夏に酒饅頭ってのも、氷ほどではないけど、けっこう稀有なチョイスです。
酒饅頭は麹を発酵で作る=冬のお菓子ですもの。
ところで、氷室の痕跡は?
もちろん、この現代には、もう残っていないんだそうです。
あら、残念。
◆今日は、2015年7月16日/旧暦6月1日/水無月癸巳の日/新月!
日の出4時37分 日の入18時57分/月の出4時43分 月の入18時47分