今夜は、「十三夜の月」。中秋の名月を見たら、必ず見るべき美しい月だそうです。今晩の天気はどうかな?/10/25=旧9/13・甲戌

旧暦9月13日の今日は「十三夜の月」
旧暦8月15日の「中秋の名月」と対になる美しき月です。

かつては、十五夜の月見だけでは「片見月」になるから不吉とか言われたそうで、しかし、世間は「中秋の名月」ほど「十三夜」を重要視してはいないみたい。
…ってコトは忘れちゃう気満々なんで、中秋の名月からずーっと月待してたんでした(笑)。

そして、忘れず今日を迎えてほっとする私です(←そこかよ!?)。

あとは、今日が秋晴れの日であることを願うばかりですが、もしもに備え、過去の十三夜の月をここに貼っておく次第。

十三夜の月

(実は、昨年もこの写真を使用。いままでいちばんきれいに撮れた「十三夜の月」なんで、これを超えるモノを撮れない以上は、ずーっとしつこくこの日はこれを我がブログに掲載するつもり。…なんで、あしからず)

毎月めぐってくる同じカタチの月のくせに、今日の月は、旧暦8月の十五夜の月「中秋の名月」とならぶ特別な月。

十三夜は「栗名月」とか「豆名月」とか言われるんで…。

お供えもそれ風にしてみました。

十三夜お供え

今年はもう最後になりそうな栗と、豆で作ったお総菜(笑)。

十三夜の月のことも、もう少し認知してほしいなぁと思うほど、無視をきめこむ東京ですので、月見団子も芒も入手困難。

なので、供える花は、昨日、空き地からいただいた背高泡立ち草と吾亦紅..とドライイフラワーになった芒。
うーん、少し地味かな?

なので、やっぱ団子ぐらいと、後で作ったりして…。

御団子

上新粉をしこしこ丸めて、作れば簡単。

十五夜の月見だけでは「片見月」は、遊郭吉原の戦略説あり。

なになに、遊郭吉原の戦略説ってなに?
って思いますか?

ちゃんと情報ソースも確保してます。
…って大げさか(笑)。

それは、このブログを書くにあたっての参考書のひとつ『東都歳時記 2 (東洋文庫)』から見つけだ記述。

<吉原でも、両見月の登楼を言うが、片見月を主張するもとは案外吉原であったかもしれない>

片見月は縁起わるしは、遊郭吉原のPR戦略ってコトで、十五夜に来た客をまた翌月再訪させるためのアイデアだった説です。
確かに縁起が悪いといわれてしまえば、気になるもの。

「おまえさん、こんな時間にどこへでかけるんだい?」と女房に言われ。
「いや、片見月は縁起が悪いから、ちょいとね」

…みたいな、出かける良い言い訳にもなるってことです。

ふーむ、とすれば、ずいぶん洗練されたPR戦略ですよね。

「十三夜の月見」は、日本のオリジナル説もあるよ。

「中秋の名月」は、中国から渡ってきた行事ですが、「十三夜の月見」は日本発祥みたいです。

その情報ソース(←ちょっと気に入りの表現・笑)は、江戸&上方の風俗を比較しながらまとめた喜多川守貞の『守貞漫稿』(『近世風俗志(守貞謾稿)〈4〉』 岩波文庫)

そこには十三夜の月は、<宇多帝の保元元年に始まる。今夜はじめて宸遊(しんゆう)あり。これを名月の始とする>とあります。

つまり=平安時代の後期、宇多天皇が十三夜の月見に出かけたのが始まりである説。
他にも、もっとさかのぼって、平安初期の醍醐天皇の時代に開かれた観月の宴が風習化した説などもあるみたいですが…。

実は、日暮れてから丸い月が闇夜に昇る満月よりも、「十三夜」とか「十四番目の月」(←すみません。ユーミンの歌です)のほうが、西の夕日が反射した中に上ってくるので風情があって、個人的には好きだったり…。

「十三夜」の月が、日本発の文化と知って、もしや、昔のニッポン人は、そのことに気づいていたんじゃあないかなぁと思う次第です。

◆今日は、2015年10月25日/旧暦9月13日/長月甲戌の日
◆日の出5時56分 日の入16時54分/月の出15時30分 月の入2時51分