今日は、伊能忠敬が蝦夷地測量の旅に立った日に由来し「地図の日」です。というコトで、私もちょっと地図を調べつつ歩いてみました。/4/19=旧3/13・辛未

地図の日なんで、「歩測練習の道」半分踏破!

…って何のことかって?

今日4月19日は、伊能忠敬が、蝦夷地の測量を行うために江戸を旅たったその日。
正確には、江戸時代後期、寛政12年(1800年)閏4月19日でございました。
伊能忠敬像

それを由来し、本日は「地図の日」。

ふーむ。
となると、やはり私としては伊能忠敬にまつわる何かを行い、記念日に自分も参加してみたい。
⇒「歩測練習の道」をたどってみようか。
⇒蝦夷地測量は無理だしね。
⇒といっても、その練習用の距離もやたら長いので半分ね。

ってコトです。

「歩測練習の道」とは?

そうそう、それも謎ワードでした。
「歩測練習の道」は、伊能忠敬が、「深川黒江町の隠宅」と、当時師事していた天文暦学者・高橋至時がいる「浅草司天台」の間を歩測して、緯度1分の距離を求めようとしたルートのコト。
あたりの景観はもちろんがらっと変わってしまってますが、道じたいはほぼそのまま残っている。
それを、平成の世に追体験してみようってコトです。

実は、あらかじめ半分「歩測練習の道」ルートを歩きましたっ!

数日前に思い立ち、以下の浅草寺~隠居宅までは踏破済み(★のついた部分です)、今日晴れたなら、それ以外の部分を埋めてゆこうかなぁという趣向。

深川黒江町の隠居宅跡/現・東京都江東区門前仲町1丁目18-3あたりをスタート

清澄通りを延々北上

吾妻橋を渡り、

★隅田川沿いを行き、二天門から浅草寺へ入り…。
二天門

雷門から抜けると、そこからまっすぐの道が江戸通り。
雷門

★江戸通りを南下
江戸通り

★暦局こと「浅草天文台跡」/現・東京都台東区浅草橋3丁目19~26付近
天文台あと
うーん、いまは四つ角の一角にこの札がたつのみなのが残念です。

★さらに南下して左折・両国橋で隅田川を渡る。
両国橋
ここでしばし「歩測練習の道」ルートをはずれ、ちょっと戻って江戸東京博の図書室へ。

かねてより懸案だった「歩測練習の道」MAPをコピーしてもらいます。
地図
(かつて江戸東京博の展示にあわせ発行された図録は全部この図書室の蔵書。その「忠孝と伊能図」という図録の見返しにこの地図がありました。古地図&現代地図を併せた、私にとっては豪華版)
さあて、もとのルートに戻って…。

★回向院の際を南下。
回向院
というより、隅田川の際といったほうがいいかな?正確には、両国橋を渡ったらすぐ右に折れる道がそれです。

★堅川にぶつかったら、渡る手前を川沿いに歩く。
小名木川
平成の世は、上には首都高7号線がはしり、川ベリも延々護岸工事がされています(しかも、ただいま途中から工事中!)
この川べりを清澄通とクロスするところまで歩きます。

★清澄通りと堅川が交わるところで川を渡り(この橋は二の橋)、南下

左手に清澄公園が見えて来たらもうすぐなんで今度はコーヒーブレイク。
ブルーボトルコーヒー 清澄白河 に寄ってみました。
ブルーボトルコーヒー

★スタート地点の隠居宅に戻る。
といっても、今は小さな石碑がひっそりと建つのみなんですが…。

住居跡

で、これがまあ、半分でもけっこう大変です。
博物館とか、行ってみたかったコーヒーショップがあるからこそ歩ける距離って感じだなぁ。
今日、この半分かぁ…とやや遠い目で思う。

これを毎日コツコツと…伊能忠敬さんって、やっぱこうゆうことが好きだったんだろうなぁ。
その好きをちゃんと実行に移し、後世に残るカタチにまでしたところが偉大なんだよなぁと思う。

そんなところは、現代人の生き方のお手本にしても、まだなお余りある伊能忠敬の生きざまかと。
だから、こうして歩いて、地図の日を祝おうかという気に毎年まんまと載せられるのです…記念日に。

ちなみに…。

ブルーボトルコーヒーは、平日の昼間だというのに(しかもあの立地なのに!)超満員。
けっきょくそのまま家までお持ち帰りとなりました。
ブルーボトルコーヒー
地下鉄なんで、帰りはあっという間だし、可愛い袋ももらえたからまあいいか。
味的には、かなり好み、近くにお店できないかなぁ。

◆今日は、2016年4月19日/旧暦3月13日/弥生辛未の日
◆日の出5時03分 日の入18時18分/月の出15時40分 月の入3時29分