杉本苑子作『滝沢馬琴』を今更ながら読了。
2017年の今年、5月末に、この作家の訃報を聞いて、そのニュース記事が、< 「孤愁(こしゅう)の岸」や「滝沢馬琴」など…>で始まるもので
⇒えっ!馬琴のことなんて書いてたの?
⇒それは、読みそびれていた!
…と慌てて、図書館へ借り出しに。
全集しかないっていうんで、それでもいかと読みだした次第です。
いやいや、ちゃんと文庫化もされているんですが(『滝沢馬琴(上)』 『滝沢馬琴(下)』(講談社文庫) 、作家の訃報に触れても、本屋には並んでないし、Amazonから届くのを待つのももどかしく。
っていうか、亡くなったのは5月。
今は8月だしね。5月なら本も入手しやすかったんだと思います…(‘_’)。
物語は、馬琴の晩年。
最晩年には、まったく視力を失ったとされるが、その片方の目が見えなくなった朝から始まる。
そんな不吉な気分を背負った始まりから、物語は、実は、一貫して、緊張感満載。
負のエネルギーで満ちたような重圧感の中、馬琴は、自分を曲げることなく、諦めることなく、書き続ける。
書き続けたそれこそは、『南総里見八犬伝』であり、平成人の私が、滝沢馬琴の物語と聞いて、すぐに手に取ってみたくなったのは、この壮大かつ奇想天外な物語の作者であったから。
だからなのかどうなのか、物語が緊張感満載であろうと、やや閉塞感なども背負っていようと、どんどん読む。
途中、もう一人の大好きな江戸人、葛飾北斎が登場するが、そこにきて、その悠々たる自由人ぶりに触れ、私は、この物語の重圧感のすごさに、はっと気がついたりするのである。
滝沢馬琴は、医者の息子を失い、妻を失い、頼りにしていた娘婿を失い…
最後は、孫にまで先立たれ、それでも生きて、最後の最後は、学問のない嫁に教えながらの口実筆記。
こうして、『南総里見八犬伝』は完結し、馬琴はその6年後にこの世から逝く。
その後も、嫁・路の口実筆記を頼りに、執筆は続くが、そのあたりのことは、この物語に詳しくはない。
日々の暮らしの困窮と金の算段と、死人への弔いと、それと、ただただ書く。
しかしそれだって、淡々とではなくて、あちらで転び、こちらで騙され…みたいな苦労。
なんかねぇ。
なにも楽しいことがないんですが、それでも、先へ先へと読みたくなる、これは杉本苑子氏の筆のチカラなのか?
それとも、馬琴のオーラによるものなのか?
不思議すぎる気がします。
読者としては、これがここまで面白いなら、杉本さんには、途中にちらっと登場した「葛飾北斎」も書いてほしかったなぁと強く。
もしや!?と思って、著作を探すも、ああ、そっちはないんだなぁ…。
残念っ!
ところで、読書中、いちいち感じるなんとなくの既視感??
ああそうだっこの本だっ!と思い出して『馬琴一家の江戸暮らし』をその後再読。
いゃあ、この2冊を併読したら、さらに深まる滝沢馬琴の暮らしと生き方っ!
…と、読書の楽しみを再確認した次第です。
どちらから読むのもおススメですが、片方読んだら、勢いで、両方トライしてみてほしいです。
騙されたと思ってぜひっ!((´∀`))。