『須賀敦子の手紙』をやっと手に入れ読む。大好きだった作家の生き生きと生きた日々が、美しき本になってああ、よかったと思う。

須賀敦子さんの書簡集ともいうべき本を、ため息つきつつ読了。

須賀敦子著『須賀敦子の手紙 1975―1997年 友人への55通』は、そのタイトル通りに、封筒やはがきの姿や、敦子さんの文字までも写真集のように納められ、そのたたずまいが美しかった。

須賀敦子の手紙

須賀敦子さんの著作には、1990年にのXmasの書店で初めて出逢ったミラノ 霧の風景で、いきなり惹かれ。

なんで、こんな素敵な作家を知らなかったんだろう!
…と、調べて、そのエッセイが処女作と知る。

もっと読みたい欲求は、それより以前に世に出てた翻訳へと向かい、海外文学がどうも苦手な私にイタリア文学の面白さの端っこをつかませてくれた人。

作品が出れば迷わず手にして、買ったその日にむさぼるように読むほど好きで、そんな日々が数年続く。

そして、98年の春まじかのころ。

やはり書店の平台に、須賀敦子作品が並び。
そこには「追悼」の文字。

「えっ!」とそこでかたまり、しばし、なにかの冗談か?と思った。

あとで、ネットで調べて、またがっかりし。
一度もあったことのないその作家を、もう身内のひとりのように思っていたなぁ…。
…と悲しすぎたあの日を思い出してみる。

その後、短い作家生活の中で書かれた、エッセイと翻訳が、矢継ぎ早に出版されて、全集も出て、もちろんそれらはすべて読み通し。
ああ、もう新しく読む作品は、ひとつもなくなって、ああ、もうこれでホントにお別れなんだぁ…と思った。

そうして、諦め忘れたころに出版された書簡集。

書店の片隅で輝くように美しい表紙のこの本を手に取って、「わあっ須賀さんだぁ」と思う。
思ってもその場で買わなかったのが災いし、この本は、いったん本屋でも見なくなって、WEBの書店でも、長く入荷待ちになった。

そして、やっと入手。
そのまま読み始めて、たった55通の手紙にあふれる、須賀敦子さんの筆致が、瑞々しくて嬉しい。

開く

なにか、私の知ってる須賀敦子さんより、明るく、本音が描かれ、生き生きとして、ブルーブラックの万年筆で書かれたその手紙のたたずまいですら、ページをめくってワクワクと楽しい。

ページを繰るたび「わあ~っ!」とココロが、大きく広がる感じになって、読み進む。

文学を通して大好きだった、須賀さんは、静かで知的で、落ち着いた人。
それが、こんなにざっくばらんな方でもあったんだなぁ…と。

もうこの世界のどこにもいない人ではあるけど、生き生きと生きた証を、美しい本という姿で見せられて、なんだか、ホッとしずぎて涙が出た。

イタリア人の夫を早くに亡くし、帰国したらしたで、父も母も逝き。

その孤独をどう慰めていたんだろうなぁとも思っていたけど、ちゃんと、友人たちとの交流の中で生きた。

なんだか、そんな晩年のプライベートを今頃知って、ココロが、ほーっと温かくなる。

なんだって、こんなに大好きな作家なんだろう、須賀さんって。
と思いつつ、最後のページ、裏表紙と眺め…。

裏表紙

ああ、もういちど、最初から須賀作品を読み返してみようかなと思う。

↓たいせつに作られたたたずまいの美しい本です。