吉永南央作『花ひいらぎの街角』を読了。
紅葉超珈琲屋こよみシリーズも6作目。
主人公・杉浦草さんの魅力に惹かれ、書店に並べば必ず読むを繰り返し…。
けっこう長い付き合いになったげど、この6作目がいちばん好きかもと思う。
特に、旧友から届いた小包が編み出す物語が好みである。
小包の中身は、その旧友、初之輔が若き日々に書いた短編小説『香良須川(からすがわ)』を絵巻物にしたもの。
絵巻物は2巻あり、もう一つは、珈琲の師匠であり、やはり古くからの友人であるレストラン「ボンヌファン」のシェフ・バクサンこと寺田博三のもとに送られていた。
そこから始まる懐かしい3人の交流。
ふふふっ、裏表紙には若き日の3人の写真のイラストが配されてました。
そして、物語は絵巻物のもととなった短編小説の単行本化へと続いてゆく。
今は昔の技術、活版印刷による私家版を作るエピソードは、本シリーズの大きな背骨。
その過程で出会った人びととの間に見え隠れした謎を解きつつ、一冊の本が少しずつカタチを表してゆく。
うーんいいな。
活版印刷は、斜陽期を経て、また新しい希望でもある。
…これは私の持論。
かつて、なくてはならなかった技術は、後発のもっと便利なモノにとってかわられ、多くは消えた。
しかし、そのうちのいくつかは必要不可欠を卒業し、面白い、楽しい、センスがあるみたいな違うテーマを背負って、違うフィールドに登場したりして面白い。
たとえば、「活版印刷」とか、「レコード」だとか、「器の金継ぎ」なんかもそうじゃない?
この一冊の物語は、活版印刷を通して、そうゆう未来を語っているかのようにも思えた。
特に、旧友の小説を活版印刷で本にしようと思いついた時のお草さんのコトバ「気分がいいわ。こんなに年をとっても、今だからこそできることがあるんだなんて」は、ヒトもそうあることができると語ってもいる。
ああ、やっぱりいいね、この一行は、確実に老いてゆくすべてのヒトに希望を与える魔法のコトバだ。
長い読者は…。
シリーズ第一作『萩を揺らす雨』で、お草さんの辛かった過去を伝えられ、その悲しみをベースにお草さんの凛とした魅力があるんだなぁと思ってシリーズ5作目まで。
ここにきて、さらに若かりし頃のエピソードを耳にして、ああ、本シリーズは、過去に種撒いた希望の実りの章だなぁ…と。
うーん、まさかこれって最終巻じゃあないよね。
と一抹の不安。
それほどに、読みがいのありまくる一冊なのでした。
さて、今回、真似したかったお草さんの暮らしは…。
珈琲豆と和食器の店「小蔵屋」を営む女主人・お草さんこと杉浦草のセンスある暮し。
それが、ちりばめられて、物語に深みと彩を添えているのも本作の魅力。
読者たる私は、活版での本づくりと謎解きの行方を追いつつも、暮らしのメモとりにも忙しい。
そうなんである。
物語の折々に、「おっ!と思ったところは付箋を立てて、あとで、ノートに書き遷して復習。
読了後も再度、楽しみが待っていて忙しいのである。
まずは、丘陵の観音様を臨む、北関東の小さな町にある「小蔵屋」の店内。
一杯無料の試飲コーヒーを飲みながら、眺めた、季節のディスプレー。
・テーマは「たてかえたのし」で、和食器の用途をあえて違えて楽しむ展示。
<中東の文様のような茶色と黄土色の大皿に、赤っぽい落ち葉を敷き、枝付き毬栗を盛って飾る。>
から始まる数行のアイデアがいちいちいちいち素晴らしく。全部メモ。
・あるいは、若いころの記憶で、友人の女性がはぎれで作ってくれた手提げ。
<白と黒の格子柄のしゃりっとした風合いの生地。共布の花飾りがついていて、取り外し自由で髪飾りにもできた>
…って、ちょっとステキだ。
・お草さんは料理も上手で、これまた参考にしたい。
たとえば、押し寿司。<すりおろして散らした青柚子、ほぐした焼き鮭、胡瓜、薄紅色の生姜、舞茸の佃煮が具に乗った棒状の押し寿司を一口大に切ってある>
ってどんなだろう?供された女友達は、<きれいねえ、秋の野山みたい>と言っていた。
たとえば、肉うどん<長ネギをふんだんに、それからしゃぶしゃぶ用の黒豚を使った。つゆに少しとろみをつけ、生姜のすりおろしと柚子をのせる。
・ある日、店内で活けようと用意された植物が、雲龍桑と梅もどき
…って、活けた姿を見てみたい。
・ひいらぎの花は、金木犀の香りに似ているけれどあれほど甘くも強くもない
…とかの豆知識とか。
などなどなどなど。
あっあと、“ふうやさんとぼうけんやろうくんの話。”⇒これは本作を読まないとその面白さは不明ですが、いい言葉です。
そうした、ちいさな面白さも本作でも健在です。
◆積読してたらもちろん文庫化もとっくに(-_-;)。
こちらのイラストのほうが好みかも。
↓
『花ひいらぎの街角 紅雲町珈琲屋こよみ』(文春文庫)