2011年3月11日のこと:駒場東大あたりで地震に遭遇

日本民藝館に向かおうと渋谷から山手どおりを友人と歩いていたら、ぐらっときました。

都心近くが震源であるかのような強く長い揺れ。
四方にビル、電柱、車道とあって、逃げ道はなく、こんなところでさらに大きな地震に遭遇したら助からないだろうと思いつつ、揺れている最中に、家族にメールを送る。

「とりあえず無事です」
すぐに、東北の母から「大丈夫、裏の竹薮に逃げました」と返信が来る。

母は80歳を過ぎているが、メールのやり取りが出来る。
たとえば電話をかけてもこうはいかないだろう。
とりあえず心配ごとが減ってホッとする。

危険を避けるために、東大駒場キャンパスを経由して、一応日本民藝館へ。余震は何回もやってくる。
もちろん臨時閉館。

日本民芸館

中はそんな大きな被害も無かったそうで、ややほっとする。
写真を撮っていたらまたぐらっと。ブレました。

そのあと、携帯でネットにアクセスし、震源が宮城県沖だと知って驚愕。
私は、以前の宮城県沖地震の体験者で、そのときの揺れが、さっきの揺れに感覚が近かった。
とすれば…。
とりあえず、ターミナル駅へ出たほうがいいだろうかと、渋谷へ徒歩。

電車はしっかり止まってますが、この時点では、交通網がすべてストップするとは夢にも思わず。
電車が走り出すまで待つつもりで、お茶など飲んで時間をつぶす。

となりの見知らぬ女性2人が「電車の復旧は今夜中見込みなしだってよ」と。
声をかけて教えてもらえば、ツイッター情報だそうで、それなら方針変更。
ツイッター…思い付きをあまり精査せずに垂れ流すようで、あまり好きな機能ではないが、こうゆう時は便利ですね。

等々力方面へ帰る友人はバスがあるとのことで、そこで別れ、私はとりあえず歩きはじめ、途中バスに乗れたら乗る方針で明治通りに。
結局、渋谷→千駄木自宅まで延々24キロを歩ききることになってしまうのでした。

といっても、都内の睡眠環境の無いところで宿泊した方も数多く、そもそもダイレクトに被災したひとのことを考えれば、まったくどってことのない暢気な話。
かえって、いろいろ学ぶこと多数の体験でもあるのでした。
続きは明日。