潮干狩り2014、始まってるみたいですっ!/旧2/17・丁亥

唐突ですが、この365日の暦日記には、ネタ探しの強い味方、最強の参考書があって、それがこちら。

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「東都歳時記」と「東京年中行事」

「東都…」は江戸時代(天保九年)、「東京…」は明治44年に発行されたものを底本として復刻された本(「東洋文庫シリーズ」・平凡社)ですが、これが江戸から明治にかけての庶民の楽しみが季節ごとにつづられて、めっぽう興味深いのです。

で、日々つらつら、紐解いていると、けっこう現代生活にも役立つコト満載。
で、まあ、こんなブログをはじめてみたりしたわけなんでありました。

その「東都歳時記」によれば、「汐干(しおひ)は、当月より4月に至る。其内3月3日を節(ほどよし)とす。」とあって、潮干狩りのルーツって、上巳の節句(=雛祭り)の行事のひとつなんだなぁ…とぼんやりかまえておりました。
今日は、旧暦ならばまだ2月17日だもんまだまだよねぇ~。

しかし、さきほど「今日は今年3回目の満月かぁ」と思った端からちょっと気になり始め…。

ここ数日は「大潮」じゃん!

潮干狩りは、潮の干満の差が大きくて、干潟が大きくなる時期=「大潮」の時期が最適。
そして、その日を割り出すのは、月の満ち欠けが大きなヒントにもなって、満月や新月を中心にその前後が、「大潮」の時期なんです。

潮の満ち引きは、主に月(と太陽)の引力のおかげ、そのメカニズムは、長くなるので、割愛させていただくことにして…(いやすみませんっ!)
するってーと、もう、そろそろ潮干狩りの時期じゃあない?
と急ぎネット検索。

おおっ!
東京湾でも、木更津海岸をはじめ数ヶ所ですが、もう潮干狩りが始まってるみたいですよ。

さて、この東京湾。
今は、東京といっても、潮干狩りは、それ以外の茨城、千葉、神奈川あたりまではるばる出かけてゆかなければなりません。

が、江戸の昔は、ぐるりと浅瀬の浜が続き、まさに江戸前は潮干狩りの名所であったのだそうです。

せっかくですので、その証拠を「東都歳事記」よりひとつ。

(写真をクリックしてください大きくなります)
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添えられた記事によれば、「芝浦、高輪、品川沖、佃島沖、深川州崎、中川の沖、早旦より船に乗じてはるかの沖にいたる。卯の刻過ぎより引始て、午の半刻には海底陸地と変ず。ここにおりたちて蠣蛤を拾い、砂中のひらめをふみ、引き残りたる浅汐に小魚を得て宴を催せり。」とあります。
ちょっと見難くて恐縮ですが、手前の鳥居や建物があるのが深川のあたり、そこから芝浦方面まで一面広大な干潟になる中に、人影や船影が点々と描かれているのにご注目!

早旦=日の出まえから船に乗って干潟へ出かけて行き、ようよう日が昇ってくる卯の刻あたりから徐々に引き潮が始まる。
そして、おなかが空いてくる昼頃、午の刻には、とうとう磯の香りに満ち満ちた広大な陸地が春の海の幸とともに顔を出すわけです。
蠣蛤ははまぐりのことで、現代では高価になった貝を拾い、ひらめもつい踏みつけるほどあちこちにいる。小魚が、引き潮で、ぴちぴち跳ねているところも捕まえて、食材を持参せずともおかずはもう十分。
ささっと調理して昼の宴に興じるということでしょうか。

ああ、なんとも、うらやましい豊かな光景です。

ちなみに、江戸前が広大な干潟だったころの潮干狩りは、そこに出かけ、自然の中に宿る精霊達と交わるという意味も持っていた。
早春のころは、山や野や、そして磯辺に行けば、目にはみえないけれどカミサマ方がいらっしゃる。
古人は、その方々にお会いし、ともに春の恵みをいただき感謝して、これからの1年の無事を祈願したのだそうです。

浜をなくした東京湾。
そういえば、都心には、野原も山もなく。
だから、現代の春は、ちょっと気分が不安定にもなるのかなぁ…とふと。

ああ、ちょっと昔がうらやましい、春の1日でもあります。

◆今日は、2014年3月17日/旧暦2月17日/如月丁亥の日/満月