かつて、卯月の「卯」=うさぎのコトと思いこみ、なんとカワイイ呼び名の月だろうかと思っていました。
それが、同じ卯でも「卯の花」が咲くからなんだって!?
ええーっ、ちょっと残念っ!
…などとも思いましたが、実際その花を見ればこの白さ美しさ。
つまり、白い花→白ウサギに似ている花→卯の花という流れでついた名前ってコトかしら?
…などと、勝手に関連づけて、長き思い込み間違いを正当化→納得いたした次第です(笑)。
さて…。
図鑑をひもとけば、背が高く枝分かれした木々のこんもり茂る緑の葉にポツンポツンと白いものが目立ちだし、やがて、わさわさと白い花が付き、たわわにこぼれるほどになる。
…というのが卯の花のようですが、街中でときどき出会うそれは、路地にちんまり生える草花みたい。
たしかに最初は、ポツンポツンと白い米みたいなのが咲きだして…。
しかし、どうやらこれは、つぼみのようです。
(ちなみに、この咲きはじめの佇まいの可愛さを見て、やっぱり、4月=卯月=「カワイイ呼び名の月」かも?…とややしつこい)
それが、少しずつふくらみ、開きだすのが、まさに旧暦4月の今ごろみたい。
がっ、しっかり花開いても、まだせいぜいこんな。
緑の中にポツン、ポツンとあるのみで、満開時に、雪やら雲やら波…なんかにたとえられる様子には、まだほど遠い。
旧暦4月は、まだ半ばなので、満開まではまだ間がありそうです。
ところで、豆腐と豆乳を絞ったカスに、いまだ栄養が残ると菜に仕立てた人もすごいですが、そこに「卯の花」という美しい名前をこじつけた無理やり感もなかなかのもの…とふと。
だって、この美しい白。
おからひと盛りの様子にはぎりぎり似ているかもしれないけど、「おからの煮付け」は、ちょっと違う…と思いませんか?
なのに、そこに「卯の花」とつけた。
その無理やりがなければ、あれは、ここまで普遍的なお惣菜の地位は望めなかったんじゃないだろうか?
…と思うのですがいかがでしょうか?
うっ、ちょっと話がそれました。
卯月八日のところでも書きましたが、卯の花は、かつて、初夏の神事に非常に重要な役割を果たす花だったようです。
旧暦、卯月八日は、農事を休み、山にカミサマを迎えに出かける1日。
帰りに、里山で咲く卯の花を少しいただいて、供物として門口に飾ったそうです。
その風習は、農事に直接関係のない江戸にもあって、江戸風俗に詳しい、喜田川守貞著『守貞謾稿』(『近世風俗志(守貞謾稿)〈4〉』 岩波文庫/下の写真の本です)にも「江戸四月八日、卯の花を門戸に挿む」とあり、これは、上方で高い竿先に花を結びつけて飾る「花の塔」(あるいは天道花)と同じ風習なのだと加えて解説がありました。
(↓モノクロで見難いですが、見開きの右側に描かれているののが当時の「花の塔」)
で、頭の中に江戸の町並みを描き(江戸東京博物館や深川江戸資料館仕様ですが…)、その門戸や玄関にポツンポツンと白い卯の花が飾られているのを想像します。
初夏の気持ちの良い1日、江戸の街をそぞろ歩けば、あちらにもこちらにも白い卯の花。
それは、山からカミサマをお迎えしたよという印です。
…ああ、いいねぇ。
ちなみに、卯の花の正式名は「空木(うつぎ)」といいます。
茎が中空になっているためにそう呼ばれるそうですが、中空の癖に、硬く丈夫な木でもあって、腐りにくい。
昔からその性質を大いに利用し、「木くぎ」や神事用の杵などに仕立てて使われてもきたんだとか。
ほぉーっ。
そんなところでも、人の役に立つなんと働き者の植物なのか…と感心しきりではありますが、非常に気になるのは、その「中空」の茎であるというところ。
そうと知れは、こっそりその枝を折って確かめてみたい気持ち満々ですが、見かける卯の花は、まだ低木の若木すぎて、「木」の部分がありません。
現代の卯の花は野生ではなく、民家で誰かが丹精こめて育てたものとか公共の植栽とか。
つまり、生えている場所に併せて、しっかり剪定されてしまって、大きくなる暇がありません。
うーむ、残念。
つまり、私ったら、大木卯の花がその辺に生えていたなら、花泥棒する気満々…なのでしょうか?
◆今日は、2014年5月10日/旧暦4月12日/卯月辛巳の日