5月27日は、百人一首の日なんだそうです/旧4/29・戊戌

我がスクールディズの二大暗記アイテムといえば、掛け算の「九九」と「小倉百人一首」。

「九九」は、確か年端も行かない小学二年生でしたから、無垢な心でさっさと覚えてしまったものですが、「小倉百人一首」はそうはいかない。
高校生一年生の夏休みだか冬休みだかの前日、100の和歌が並んだ印刷物が物々しく配られて、とにかく全部くまなく暗記せよとの指令がくだった。
…ではなく宿題が出された。

つい、いちいちどうでもいい寄り道をしたり余計な謎を解いたりと、勉強するにも要領が悪く、何の疑問も持たずにひたすら「暗記」するなど苦手中の苦手。
しかし休み明けにはご丁寧なことに試験まで用意されているとあっては、おおらかに無視するほどに人間も大きくない。

高校受験という重圧から逃れ、晴れ晴れと羽目をはずせるはずの最初の夏休み(だか冬休みだか)を、なんだか意味の解らない古語にまみれて過ごすことになりました。
それは、ずいぶんたった今でも、非常にインパクトの強い懐かしき思い出。

今日は、その懐かしき「百人一首の日」なんだそうです。

「百人一首」は、鎌倉時代(1236年)の今日、歌人の藤原定家によって選定されました

依頼主は、鎌倉幕府の御家人であり、歌人としても優れていたとされる宇都宮頼綱という武将。
…だそうです。

この頼綱が、京都の小倉山の別荘の襖絵のために依頼。
和歌は、大化の改新の中心人物・天智天皇から鎌倉時代の順徳天皇(順徳院)によるものまで、約600年の間に詠まれた中で優れたものを歌人一人一首ずつという内容だった。

歌カルタとして遊ぶときは、気にもしないものですが、実は、正式には和歌の並びも時代順です。
暗記の宿題は、もちろん、そこまでの正確さを求められ、嫌々覚えたものですが、のちに日本史の試験で思いがけず役に立つ…という、ちょっとしたおまけがありました。

ちなみに、最後の順徳天皇は、鎌倉幕府を倒そうとして1221年に承久の乱を起こし敗退、佐渡へ流され罪人としてこの世を去ったひと。
天皇といえども、時の政権にとっての、反逆者の和歌がそこに一首選ばれたのは不思議です。

が、順徳天皇は、定家に師事していたと聞けば、なるほど。

もしや優秀で熱心な愛すべき弟子だったかもしれず、その愛弟子が遠く佐渡に流され苦汁の生活を強いられているのを偲んで一首入れた。

…そんな知られざるドラマを勝手に思い描いてもみます。

「百人一首」のその後

定家の選定後、「百人一首」は、歌道の入門書として長く読み継がれるようになります。

いつしか、歌カルタとカタチを変えて、宮中とか諸大名の大奥の年中行事にまで発展しました。

そして、江戸時代には木版画の普及によって、絵入りの歌カルタも作られるようになります。
この時期は、寺子屋などでの少女の手習いの素材などにも使われて、広く庶民に広がってゆきます。

一方、昭和の時代に暗記させられた高校生のほうは、歌カルタなどは一度も経験しないまま。
しかし、古典や日本史が好きになったのは、「百人一首」のおかげかもしれません。

記念日なので百人一首を

何か入門書的なモノでも読みたいなぁ…と思って書店に行ったら、面白い本を見つけました。

百人一首201105

A Hundred Verses From Old Japan – 百人一首(英文版)』。

本書は、「百人一首」の英訳本ですが、英語の本なのに、各ページに添えられたのは日本の古典画風の挿絵。
このミスマッチ状態(…に見えるよね?)がまず面白いのです。

百人一首201105_2

このページは、小野小町の和歌の翻訳ですね。

はなのいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに
と、きちんと書かれているのも親切です。

そして、このややミスマッチな面白さに惹かれ、中味をぱらぱら拾い読みしてみたら、中味も興味津々。

和歌は、なんとなくファジー表現なのに対し、英訳は、パキッとはっきり言ってのけているように思える違いが秀逸です。
同じ「百人一首」でも、解釈にはお国柄がでちゃうもんですねぇ(笑)

さらに丁寧な解説文を読めば、知らないことも載っていて、ああ、私ったら日本人なのに…と反省しつつ早速購入。

といっても、その魂胆は、この本を読んで、いまだなかなか上達しない英語力の底上げをしようか…というコトでして…。

こんな大人になって尚、実は、手習いとしての「百人一首」とは手が切れてはいないという始末です。
ああ、あの高校生の日々にこの本があったらなぁ。
暗記ついでに、英語の勉強にも身が入ったかもしれなかった…と思う。
…たぶん。

翻訳者は、William N. Porter(ウイリアム.N.ポーター)という英国人

写真の『A Hundred Verses From Old Japan – 百人一首(英文版)』は、チャールズ・イー・タトル出版発行の普及版ですが、初版は、1909(明治42)年、英国の老舗出版社Oxford at the Clarendon Pressから出版されました。

訳者のWilliam N. Porter(ウイリアム.N.ポーター)さんは、日本が明治時代の頃、はるかヨーロッパ大陸の向こう英国で生きた人。

『百人一首』以外にも『土佐日記』や『徒然草』なども翻訳出版し、欧米への日本文化の紹介に一役かってくれた方なんだそうです。

それを、日本文化をあまりにも知らない現代の日本人が反省しつつ紐解いて読む。

なんだか、ちょっと皮肉な感じですが、正直に言ってしまえば、強制的に覚えた「百人一首」はさておき、他はどちらもほぼ未読。
もうこうなったら英語で読んで、ついでに英語力も増強させようか…とまあ、狸の皮算用でありましょうか。

選者の藤原定家の和歌はどんな風に英訳?

ひとつ選んで、ココにご紹介してしまいましょう。

百人一首には、選者、藤原定家自身の和歌ももちろんあります。

「来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻しほの身もこがれつつ」

さて、この和歌は、どんな風に英訳されているのでしょうか。

Upon the shore of Matsu-ho
For thee I pine and sigh;
Though calm and cool the evening air,
These salt-pans caked and dry
Are not more parched than I!

僭越ながら、和歌の意味はこんな感じかと。

いくら待ってもこない人を待ちこがれている私は、
あの松帆のの浦で夕なぎの頃焼くという藻塩のように、
身もこがれるほど苦しんでいるのです。

百首のうち、いちばん多い恋の歌ですね。

・来ない人は、もちろん恋する人なんでしょうが、それを「待つ」のと「松帆の浦で」をかけている日本語に対し、
I pine =「思い焦がれ」and sigh=「ため息」をつくを、pine=「松」とsigh=「そよ風」をかけている訳し方。

こうゆうところを拾ってゆくのも面白いです。

・Are not more parched than I!は、私以上にparched(=焦げた、乾ききった)、つまり「苦しみ憔悴しきったひとなんていないやい!」ぐらいの感じでしょうか。

おおっ!恋焦がれる様子がにじみ出てる感じがしませんか?

こうして英語にしてしまうと、なんとなく情熱度は増すようにも思え、和歌の時には感じなかったリアリティ。
つまり、「定家さんもそんな恋をしたんだねぇ…」みたいな慕わしさが生まれてくる不思議。

現代人にとっては、古い日本語より、出来なくても英語のほうが身近な言葉なのかもしれません。
そして、当時、英語の存在など知るすべもなかっただろう百人一首の歌人達は、こんな風に異国の言葉に訳されているのを知ってどんな風に思うのかしらぁ…とぼんやり想像して楽しんでみます。

「いやいや、そんなことより、しっかり本を読み込んで、せめて外国の人に質問されて、母国の古典の意味ぐらいは、説明できる人におなりよね。」
「そうそう。英語を学ぶなら、それこそが日本人の義務ですよ。」

…などと定家さんだかポーターさんだか、わかりませんが、軽く説教されそうな。

そんな気分になってきました(笑)。


◆今日は、2014年5月27日/旧暦4月29日/卯月戊戌の日