さっそく、江戸の暦の参考書『暦便覧』にはなんと書いてあるかを見てみましょう。
「芒種」は、「芒(のぎ)ある穀類、稼種(かしゅ)する時なり」とあります。
「芒(のぎ)」は、 稲や麦などの穀物の実ひとつひとつの先端ついている棘状の突起のことで、米などは籾殻がついた状態の時によーく観察しないとわからないのですが、とにかくイネ科の植物にはそうゆうものがついている。
「芒」は、イネ科の植物の特徴なんだそうです。
「稼」という字は、もともと穀物を植えるという意味で、転じて、働くの意味にもなった。
「芒種」は、稲や麦などのタネを蒔く時期ですよという意味でしょうが、この時期なら、麦は、昨日までの七十二候「麦秋至」で実ったばかり。
断然「稲」を意識しての言葉でしょうね。
東京から少し行けば、関東だって、まだ美しい田園地帯
都心から電車に乗って少し行けば、車窓からだって、田んぼが広がる風景を見るのは案外簡単です。
ただし、今頃ならば、あたりに繰り広がるのは、種もみを植えるのではなく、水を張った水田に苗を植える「田植え」の光景?
いやいや、気の早いところでは、それもとっくに済んで、稲が青々と育っちゃってます。
現代の米種籾を蒔く日は、もっと早い時期のようです。
ついでに、畑も耕されていて、土の色と稲の青の対比が美しいですね。
そういえば、穀物の種まき時期の目安には、二十四節気がもう一つ。
「春雨降りて百穀を生化すればなり」の「穀雨」が一月以上前に用意されていました。
実際のところ、現代の関東地方の種籾蒔きは「穀雨」の頃のほうが近く、それは、温暖化の影響というのもあるのだろうけど、稲は、まず、育苗箱に種籾を蒔いて人工的に発芽させて、発芽したら、ビニールハウスで育てたりと稲作の近代化によるというのが大きい。
そんな栽培技術がなかった昔なら、種籾蒔きの時期は、やはり、やっと暖かさが安定してきた今ぐらいが適当だったんでしょうね。
「芒種」がすぎれば、すぐにやってくるのが、雑節の「入梅」。
当時の農民たちは、程よく芽が出た頃、静々と降る梅雨の雨を期待したのかもしれません。
そして、雨は、水田に苗を植え替えたのちも恵みの雨としてしとしとと続き、「夏至」にかけての日々は、日照時間はますます増えて行く段取り。
そして、やがて盛夏がやってきます。
ここまでくれば、稲葉は青々と育っていることでしょう。
秋に稲穂をたれるほどに実らすためには、稲が十分に育った頃合で夏の強い日差しが燦燦と降り注ぐのが理想。
そうして、たっぷりと光合成すれば、さらにどんどん成長してゆけるはずです。
こうして「芒種」を「稲を育てる」ことにフォーカスすると、その後の暦の言葉との関係もとてもすっきり理解できます。
暦の輸入先の中国ならば、「芒種」は「芒」のある穀物一般を指す
…のでしょうが、日本人は、やっぱり稲作を基本にこの言葉を捕らえていたように思えます。
というのも、米は、日本人の食の基本を支えるどころか、かつては、食べ物の域を超え支配階級である武士たちの藩経営の鍵。
つまり、政治のよりどころでもあったはずです。
だから、農民にとっても、1年の作物の中で、米はもっとも基本となるものであった。
だから、梅雨も近いこの時期に、「芒種」とくれば、ほかの種類のものはさておいて、「米の種籾蒔き」の目安と、それ専用に捕らえていたとしても不思議はありません。
…なんて、ちょっと考えすぎでしょうか。
ともかく、現代の芒種の頃は、もう稲も少しずつ育ちばじめる頃です。
ちょっと郊外へ出かけてみれば、水田の稲は、何列にも並んで植えられ青々と育ち、そのまま美しい光景を形作っています。
◆2014年6月6日/旧暦5月9日/皐月戊申の日/上弦の月