この時期咲く花は、あくまでも白く美しく…。
この花なんの花だかわかりますか?
かつては、夕顔とも呼ばれたみたいですが…。
夏の今頃、上野の国立博物館に(たぶん)必ず展示される国宝『夕顔棚納涼図屏風』(久隈守景作)。
それは、夕顔の棚の下に筵を敷いて、そこで親子3人が夕涼みする様子をほのぼの描いたもので、絵の名前のみを麗々しく見せられてもピンとはこないひとも、ひと目見れば「ああこれね」と思うはずです。
それでなくとも、ひんやり薄暗い博物館の一室ということもあり、鑑賞すれば、暑い夏にも涼やかさを運んでくる名作。
実は、グリーンカーテンばやりの最近は、ときどき、街(の他人の庭先)でも同じような夕顔棚に出会います。
国宝をじっと眺めれば「夕顔…」と言いながら、棚を蔦って生い茂っているのはもうずいぶん育ったひょうたんの実。
同じように、夕涼みの必要な今頃の東京地方は、白い夕顔の花が咲き、一緒に瓢箪の子供みたいのが成り始めております。
花の幽玄さに比べて、実るのは、ちょっとひょうきんなカタチ…ですがね(笑)。
「夕顔棚納涼図屏風」の世界とはやや時期がずれておりますが、ここで言う夕顔とはまさに瓢箪のことにまちがいありません。
日本の瓢箪歴はかなり古く。記録はすでに『日本書紀』にも
瓢箪も夕顔も、おなじアフリカ原産のウリ科の植物。
親戚というか兄弟というか、そうとう近しい種とか。
瓢箪の白い花も夕顔と同じく夕暮れ時に咲き始め、闇迫るなかで、ボーっと白く咲く花に出会い、その美しさにハッとすることもしばし。
なかなかに、情緒あふれる光景でもあります。
瓢箪は、古代より人の手によって栽培されてきた植物のひとつといわれ、その実は、水状の物を入れる容器として長く便利につかわれてきたのは周知の事実です。
日本でもっとも古い記録は『日本書紀』で、仁徳天皇の11年の章で登場します。
『全現代語訳 日本書紀』(講談社学術文庫)によれは、
<仁徳天皇は、大阪湾の近辺の川に堤を築こうとしても洪水がやってきてなかなかうまく築けず思案していたある日、カミサマが夢にたち「武蔵の人、強頸(こわくび)と河内の人茨田連杉子(まんだのむらじころものこ)の二人を河伯(かわのかみ)に奉ればきっと防ぐことができるだろう」といわれました。>
河伯とは水神のことですが、水神様に人身御供を差し出しなさいということですか…。
恐ろしい話ですが、仁徳天皇はこれを実施します。強頸(こわくび)はなき悲しみながらも水に入れられますが、杉子のほうは頓智を利かせ難をのがれます。
その重要アイテムが瓢箪。
<丸い瓢(=瓢箪)二個とって河に投げ入れ「自分を必ず得たいのなら、この瓢を沈めて浮かばないようにせよ、そうすれば自分も本当の神意と知って水の中に入りましょう。もし瓢を沈められないなら、偽りの神と思うから、無駄にわが身を滅ぼすことはない」といった。つむじ風がにわかに起って瓢を沈めようとしたが、しずまなかった>
そして、杉子のほうは死なずにすみ、人柱がなくてもなぜか堤も完成した…というような話。
瓢箪は、神話世界にはじめて登場するやいなや、人の命を救ってみせて、その最初から、なかなかにすばらしいものとして扱われていますが、その後もその存在感は揺るぐことはありません。
瓢箪=道具を超えた珍重の歴史
瓢箪は、実を乾かし貯蔵用の器として使用すれば、なぜか酒や水を外気より低い温度で保ったりもして非常に優れた働きをみせた。
現代になって調べれば、瓢箪の表面には肉眼では見えないほどの小さな穴があって内部の気化熱を奪う作用があるということですが、そんなことを調べようもない時代ならば、人の目には不思議なチカラをもつものとも映り、縁起物としても珍重されるようになってゆきます。
特に、戦国時代。
多くの武将の旗印や本陣に掲げる馬印の意匠につかわれるようになりました。
瓢箪の馬印といえば、豊臣秀吉の「千成瓢箪」などが有名ですね。
現代の瓢箪はアートかな?
現代になって、瓢箪=道具としての珍重度は低くなりましたが、グリーンカーテンとしての人気は不動。
実際、夜咲く花は、やはり霊力でもあるかのように見えるし、まさにひょうたん型して実る瓢箪の実の造形は面白いの一言です。
これだけユニークなカタチの実を結ぶものってほかになかなかないんじゃないでしょうか?
やっぱり、そこにも、尋常ならざる不思議なチカラが蓄えられているようにも見えてしまいます。
だからか、都会の真ん中に飾る風景なんかも垣間見え…。
ほっほー!コレはなかなか素敵だわっ!
と思っていたら、いつしかこんな風に進化した。
うーむ。なんともユニークな瓢箪活用法であることでしょう。
いいなぁ、私もやってみたいなぁ。
◆今日は、2014年8月22日/旧暦7月27日/文月乙丑の日