今日は、二十四節気の「白露」と、中秋の名月が重なりました。
いつもの暦の参考書『暦便覧』では、「白露」を「陰気やうやく重りて、露にごりて白色となれば也」と言い。
夕暮れて昇ってくる月は秋の象徴。
「露」という字は、露草などでなじみがあるせいか、まだまだ夏の名残を感じさせる言葉ですが、本当のところは、大気中の水蒸気が冷やされないとできてこないものです。
私たちに身近な「露」といったら、寒い冬に窓にまとわりつく「結露」。
とくれば、「露」発生は、大気が冷えて涼しいと感じられる頃をさすわけです。
ああ、季節は、秋へ秋へと誘われてくる今ごろになると、あれだけ、鬱陶しかった夏との別れもちょっと寂しい感じですね。
秋の訪れは、「白露」というより、白雲の様子に現れる
といっても、その「露」が、にごって白色になるから白い露=白露のころ…ああ、涼しくなりましたねといわれても、現代の生活だと、いまいちピンとこないかもしれません。
もしも、草むらの多い場所に住んでいるなら、晴れた日の早朝に少し散歩でもすれば、プチ体験は可能かもしれません。
昨晩から今朝にかけて徐々に低くなった外気温のおかげで、夜露、朝露がたっぷり降って草の葉に宿る。
遠くから見れば草むら一帯の露が白く輝いて見えて、「ああ白露とはこれかぁ」と納得されるはずです。
…って、街中では、ちょっと無理ですかねぇ。
ならば、空の様子を眺めて秋を実感してみましょうか。
昨年の「白露」の頃は、秋の雲は、みごとなウロコを描いていました。
こちらは、もう少したったころ。
露が降りるほどに涼しければ、空に上がる水蒸気も少ないですから夏の入道雲が現れるすべも無く、雲の様子は、こんな風に違ってきます。
『暦便覧』がまとめられたのは江戸時代。
この「白露」という言葉の解釈ひとつとっても、たった100年ちょっとまえには、今と比較にならないほどの豊かな自然が日常生活とともにあって、人々は、そこに生じた微細な変化を眺め、こまやかに季節のめぐりを捉えてきたことのがよくよくわかるというもの。
街暮らしは、便利ですが、そんな風流さが皆無なところがちょっと寂しいところです。
それでも、街路樹の変化や空の様子を根気よくながめ、
かろうじて残された、空き地の草々から、変わりゆく季節の声を聴く。
そんな暮らし方を江戸の人から学んで、身の回りの何気ないモノコトに価値を感じて豊かに暮らしてゆきたいなぁ…などと、改めて思う。
ああ、この感じも、夏真っ盛りにはなかった考え方かもなぁ。
さて、さらに、これからもっと外気温が下がってゆけば、降った水滴は凝結し「霜」となります。
空気は徐々に乾燥し、雲一つない澄んだ冬空にも変化する。
「露」が降りるのも、ウロコ状の雲も、そして、夜空にクリアに映える満月も、今頃から秋本番にかけての短い季節の風物でもあるのです。
が、はっきり晴れない、今年の秋の入口。
このまま、秋雨前線による長雨→さらには、台風→いきなり冬。
…はやめてほしいなぁ。
と祈るように過ごす日々です。
だいたいにして、今日は、中秋の名月は拝めるのかね?…天気予報は曇り。うーむ。
◆今日は、2014年9月8日/旧暦8月15日/葉月壬午の日
◆日の出5:18 日の入17:59/月の出7:15 月の入3:58