『憎悪のパレード 池袋ウエストゲートパークXI』を読了。
石田衣良氏の池袋ウエストゲートパークシリーズも、もう11作目です。
…って、このシリーズのレビューをするときは、いつもこのワンパターン表現で始めているみたいなんだけど(10作目と9作目を参照ください・笑)…。
疾走感あふれるデビュー作を楽しんだ時は、ここまで続くとは夢にも思わなかった。
しかし、もはや○○作目!とカウントし、このロングランぶりを讃えたい作品だから仕方ないのである。
実際、デビュー作に対して感じた興奮とか衝撃とか…なんかは、もうとっくになくなっているけれど。
デビュー作では、高校を卒業したばかりの「池袋のガキ」だった、主人公・真島誠ほか、主要な登場人物たちももう20代後半。
なのに、やってるコトの変わりなさに無理が出てきているかな…とも思うけど。
それでも、ずーっと好きな作品である。
石田さんが書き続ける以上は、絶対読み続けようと思う。
(といっても、このシリーズを初めて読むヒトには、正直言って1~3巻あたりをまず手に取るように薦めますけど。)
IWGPシリーズが続いてほしい、理由ってなんなんだろうか?
シリーズ1が出版された1998年には、読者の私も若かった。
そこへのノスタルジーとかかしらん?
ふーむ、もちろんそれもある。
『池袋ウエストゲートパーク』を読んで、すかさず、池袋西(ウエスト)口(ゲート)公園(パーク)へ出かけ、その普通さにややがっかり。
ついでに池袋西一番街へ回り、マコトの家である果物屋を探すも、そんなものは一軒もなくて…。
それでも、普段あまり魅力的に思ってかった池袋が物語の中ではキラキラ輝いて見えたんだよねぇ。
展開するのは、かなりダーティな物語だったのにも関わらず…だ。
読者にそこまでさせる作品のチカラがすごいと思った。
そして、新しいシリーズを読了するたび、やっぱり池袋に行ってみたくなる物語のチカラは健在。
それが理由のひとつであることは間違いない。
連作の一話一話のテーマに込められた、リアルな今
物語は、シリーズ1作目から一貫して、池袋西一番街の果物屋の息子であるマコトが、池袋に巻き起こるトラブルを解決してゆくという短編連作。
ひとつのシリーズは、4作の物語で構成されるが、それぞれの重要人物は、いわゆる「サイレント・マイノリティ」エリアに分類されてしまったようなヒト。
彼らが遭遇する事件は、現在リアルに社会問題となっているコトに紐づいていて、それを、何の組織にも属さないインデペンデントなマコトが、彼なりのやり方で解決してゆく。
といっても、池袋を根城とするチーマーのGボーイズとか、池袋を仕切る暴力団「羽沢組」とかを、幼馴染のタカシ(Gボーイズのリーダー)やサル(羽沢組の渉外担当)の人脈を使い。
さらには、警察までも、かつて補導されてなじみになった池袋署の刑事・吉岡を通じて、「組織」をうまく活用してゆくんですけどね。
この、完璧な個人が、しがらみのない立場とフラットな視点で、今の問題を解決するというのが、このシリーズのカギ。
で、そこが、また読みたいと思わせるもう一つの理由。
そこで巻き起こる事件はずいぶん変わった。
かつては、ニュースでしか知らない事件だったのが、最近は、ずいぶん変わった。
本作の事件は、「脱法ドラッグ」、「ギャンブル依存症」、「仮想通貨」、「ヘイトスピーチ」に絡んだトラブル。
なんか、普通の生活をする人々の日常につながっているような事件ばかりになったよねぇ。
これが、物語に、疾走感、衝撃、興奮をあまり感じなくなった理由かも。
現代の社会問題ってフィクションをかるく超えている。
『IWGP』を読んでいて、時々、これってフィクションじゃなくてドキュメンタリーとか思ってしまう時あるものねぇ。
重要なおまけ…。
物語終盤。
「あのころ(高校時代)はタカシも今とは別人だった。引っ込み思案で、純粋で、汚れていなくて。いつか時間ができたら、タカシがどんなふうに池袋のキングになったか、その話をあんたにもしてやるよ。スターでなくて、キング誕生の物語だ」という記述が登場!
そうそう、安藤崇というマコトの幼馴染にして、池袋のキングと呼ばれている存在。
資金も人材も潤沢で、池袋の中では大きな権力を持つ彼は、物語の展開の中では必要不可欠な…いってみれば都合の良い登場人物。
いくら作り話とはいえ、こんなヒトがどうやって生まれたかが、実は最大の謎だった。
その物語はいつでるの?
…って、もうとっくに出版されていました。ああ、読まなくちゃ!
「スターでなくて、キング誕生の物語だ」はコレです。
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