『すべての神様の十月』は、ささやかで、身近すぎて、ありがたさに気が付かなかったカミサマの話。

死神、貧乏神に福の神、疫病神、道祖神に九十九神(ツクモガミ)

…の皆様たちの苦悩と苦労の物語を読了。

…じゃなかった(笑)。

すべての神様の十月』小路幸也著を読了。

すべての神様の十月

この作家には珍しく、短編小説集。
いつもの連作集よりは、ずっと緩やかにつながりつつも、カミサマ方を題材にして、どのカミサマ方も等しく良いイメージに仕上げちゃってるのは、小路流かな。

たとえば…。

死神は、寿命をまっとうした時間にけじめをつけるためにいて、貧乏神は、強運過ぎてかえって不幸に見舞われるヒトを救う。
疫病神は、確かに厄や病気を呼ぶけれど、必ず理由があってこそ。
ヒトがその理由に気づけば疫病は嘘のように去ってゆく。

どの方も、ヒトの真の幸福のための存在として描かれていて、作家・小路幸也氏のカミサマ解釈は、斬新にしてまっとうである。

個人的には、そこに登場したカミサマ方が、上記の方々ってのが、なんだかささやか過ぎていい感じ。
彼らはカミサマであるのに、とても人間臭く悩んで心配したりするので、俄然親近感まで湧いてしまう。

ときどき、「世間からは、どうも負のイメージで見られてますが、ホントは全然違うんですよね」と、自分のカミサマとしての役割を訂正までして、ああ、なんか今までちょっと忌み嫌っていてすみません。

1話読んではホッとして心安らかにすらなって

読者は、彼らカミサマ方の葛藤、苦悩、に「カミサマなのに?」と思いつつも、寄り添いながら読んで、なんだか少しホッとして、ああありがたいなぁ…とまで思う。

路地をめぐって、辻のお地蔵様や小さなお稲荷さんに偶然出会い、ちょっと手を合せてみたあとの、ささやかに安心した気分みたいなお話である。

個人的には、ちょっと引きこもり気味の子供が、長く大切に使われたのち九十九神(つくもがみ)となった「お釜」とともに成長する話「ひとりの九十九神」が好み。
男の子が成人して就職し、小さなアパートにそのお釜持参で独立。

日々、九十九神と会話するシーンが、ステキです。

すべてのカミサマ方ありがとう!みたいな気になって最終章。

最後の「福の神の幸せ」の章には、冒頭の死神の話の続きが登場。

最後の最後に、死神にまで「福」を添え、カミサマ方にもちょっと幸福のおすそ分けがなされたみたいで、違う意味でホッとするのである。

ちなみに、十月を神無月というのは、日本の八百万のカミサマがたが、会議のために出雲国(島根県)に集まるから説が有力。
ひとり、恵比寿さんは、そこに参加しないというけれど、この物語に登場したカミサマ方も、出雲にはいく暇がないかもねぇ…と、本を閉じつつ要らぬ心配までしてみています。