浅草寺の菊供養会にて「菊之御守」をいただいてきました。/10/19=旧9/26・癸亥

菊の葉っぱの意匠。

「菊之御守」

中央に書かれているのは、「具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼」という経文の一部。

これは、「菊之御守」といいまして、昨日10月18日に浅草寺にて開かれた菊供養会の日にしか授与いただけません。
もちろん、昨日いただいてきました。

ご利益は「長寿」
ちょっと珍しい御守りです。

書かれた経文は、「観音経」の一節です。

普段、お経のすべては、なんとなく呪文のように聞き散らしておりますわたくし。
敬虔な信徒の方にも観音様にも申し訳ない、ただひたすらにすみません。

しかし、そんななちゃって信徒にとっても、こうして御守りに書かれていればその意味が気になるものです。
あちらこちらの資料をひっくりかえし、お寺のサイトをたずねるなどして、少して調べてみました。

もう、申し訳ないぐらいに素人解釈ですが、たぶんこの意味はこんな風。

具一切功徳…観音菩薩さまには、あらゆる功徳が具わっている。
慈眼視衆生…そして慈悲深いまなざしで衆生=わたしたちを見守ってくださっている。
福聚海無量…観音菩薩さまは、海のごとく無限無量の福聚=福と徳をもって、衆生を救済する。
是故応頂礼…だからこそわれわれはお参りをして、「南無観世音菩薩」とその御名を唱えるべきである

観音様にお参りするときには、手を併せて「南無観音菩薩」とその名を唱える。
それだけで、厄難、災難から救われ、成仏まで出来るという、たいへんシンプルな信仰のカタチではありますが、「観音経」には、その裏づけとなる、観音様による奇蹟の例がアレコレと説かれてもいるのだとか。

とすれば、菊の葉に書かれた一節は、そのありがたい観音様の奇蹟の一例ということでもありますか。
ふーむ、なるほど。
…と、誤解を恐れず素人なりに噛み砕いてもみれば、このまま全部学んでみたいと思わせる、「観音経」は、そうした魅力を持つ経文でもありますね。

御守りの意匠にも、興味深い物語ひとつ。

菊の花ではなくて、地味な葉っぱのほうをそのデザインに採用された「菊之御守」。

そこには、菊が長寿の象徴となるにいたった、中国故事の存在があります。

浅草寺境内で配布されている資料から引用してみましょう。

<古代中国の周という国に穆(ぼく)という国王がおりました。
この国王がかわいがっていた「慈童」という召し使いがおり、ある日、この慈童が国王の寝室を掃除中に誤って王の枕をまたいでしまう。
当時これは罪になる行為であったため、慈童は深山に追放になってしまいます。
罪とはいえ、寵愛する慈童をふびんに思った国王は、釈尊より賜ったという「観音経」の経文の一部をそっと慈童に授けます。
慈童もそれを忘れることがないように「菊」の葉に書き写しておいたところ、その葉にしたたる雨露が谷川に流れ込んで霊薬となり、慈童も川下でこれを飲んだ住民たちも長寿を保った>

枕をまたいだだけで、追放…は気の毒でしたが、菊の葉っぱに観音経を書きつけるアイデアはなかなか良かった!
ってことでしょうね。

重陽の節句に「菊酒」を飲む、「菊被綿」でカラダをさする。
などなどが、「長寿」につながる風習は、すべてこの「菊慈童の故事」がルーツのようです。

そして、「浅草寺の菊御守り」は、この故事をそのままカタチにしたものです。

「菊之御守」と菊

ならば、これで慈童のように雨露をすくって飲んでみたい気もしますが、残念ながら御守りは紙製。
菊供養会でいただいた菊は、乾燥させて枕の下にしきますが、この御守りも、そのとき一緒にさせていただきましょうか。

ひとにとっての長寿を超えて、悠久の夢でも見られそうな気がしてきました。

◆今日は、2014年10月19日/旧暦9月26日/長月癸亥の日
◆日の出 5時50分 日の入17時01分/月の出 1時19分 月の入14時23分