江戸人たちは、天に向かってなにか掲げて見せるのが好きだったのか?
・五月の節句→鯉や髭もじゃの錘馗様の幟に吹流し。
・七夕→短冊や色紙による細工で飾った笹の葉を。
・盂蘭盆会→燈籠までも高々と飾った。
祭ともなればやはり神社の境内から幟を高々と上げる。
正月の凧揚げだって、風の力を借りて天に向かって何かを掲げたかったんじゃないかと勘ぐってみたり
春夏秋冬、江戸東京の甍の波上は、いつも何かとにぎやかでした。
奇妙なのは、竹の先に笊籠(ざるかご)をくくり天高く掲げる行事。
っていっても、こんなものまで天高く掲げなくてもねぇ~。
と軽く驚くのが、これら、笊や籠を掲げる行事。
それは、年に2回もあって、その一日が今日の12月8日。
そしてあけて2月8日。
江戸人たちは、この両日を総称し「事八日」と呼んだ。
そして、冬を挟んで、始まりと終わりのけじめをきっちりつける日としてかなり重要に扱いました。
実はその「始まり」と「終わり」説が二つ存在する。
・正月を軸にすれば、12月8日は「御事始(おことはじめ)」あるいは「正月事始」と新しい年を迎えるスタートの日。
⇒今日から年神様を迎え、もてなす準備が始まる。
そして、2月8日は正月が終わるということで「御事納(おことおさめ)」。
・農事を軸にすれば真逆になって、12月8日が今年の農事のすべてを終える「御事納」
2月8日は、春に向かって田畑仕事の準備をはじめる「御事始」
…といった具合。
あるいは、春の到来とともに農事のカミサマがやってくるので、そのお迎えの祭と位置づける地域もあったそうです。
実は、江戸人の間でも呼び方の統一は無かったらしい
というか、行事の作法が
1.笊籠を棒の先に括りつけ高く飾る
2.具沢山の味噌汁=「お事汁(ことじる)」を作って食す。
…と、どちらもほぼ同じだったとか。
なあんか、このザックリした感じがいいですねぇ。
気になるなぁ、「お事汁」
ということで、いつもの参考書を紐解くと、『絵本江戸風俗往来 』(菊池貴一郎 東洋文庫)にその記述がありました。
それによると、味噌汁にはいるのは…
<里芋、牛蒡、大根、人参、焼き豆腐、蒟蒻、赤豆…など>
こんな感じの材料ですかね。
赤豆と言うのがなんだかわからなかったんですが、とりあえず金時豆の水煮缶にしてみました。
これらを材料に味噌汁となれば、現代でいうところのけんちん汁みたいなものでしょうか?
しかし、江戸人にしてみれば、貯蔵したもので食事を整える冬に、たいそうなご馳走だったんじゃないでしょうかね。
で、作ってみました。
・出汁は、いつもの味噌汁につかう昆布&鰹節。
・ごちそう風にしたかったんで、火が通りやすい里芋と大根、牛蒡は大振りに切ってみました。
順番に輪切り、銀杏切り、乱切りという具合。
・人参は赤味の飾りという位置づけもありかなぁということで薄めの半月切り。
(最初、花型にしようかなと思ったんですが、正月でもないしなと辞めました)
・蒟蒻と焼き豆腐は手でちぎる。
・金時豆は火が通っているので、焼き豆腐とともに他の材料が柔らかくなってから入れて、
・味噌で味付け。
で、最後に、浅葱でも散らすかと思ったんですが、この行事は旧暦行事。
もしや、田んぼの畔やどおりっぱたに田芹とか生え始めてんじゃないの?
ということで、芹をあしらう。
(すこし早いかな、まあいいや)
具体的なレシピがないので、このような勝手な想像で作ってみましたがいかがでしょうね。
ちなみに、これを食せば魔よけになるとも信じられていたそうです。
現代人にとっても魔除けになるかな?
ともかく滋味あふれて美味しいです。
魔よけといえば、
もう一方の謎めきすぎて奇妙すぎる「掲げる笊籠」。
こちらの方は、笊を掲げて祓う魔物の素性がはっきりしているのが興味深いところ。
特に、関東・中部地方の12月と2月の8日には、「箕借り婆(みかりばば)」という一つ目の妖怪や「一つ目小僧」がやってきて、人間の目を勝手に借りていってしまう…らしい。
恐っ!
で、笊籠は、その妖怪を追い払うための道具なんだとか。
一つ目の魔物たちは、目(=網目)がたくさんあるものが大嫌いで怖い
だから、笊籠を目立つように掲げておけば、物の怪たちは寄ってこないという理屈。
その様子を描いたものも『絵本江戸風俗往来』にありました。
ちょっと観難いですが、挿絵の上の方を、よーく見て下さい。(写真をクリックすると少し大きくなります。)
ちまちまと、笊だか籠だかが空に向かって掲げられております。
なんだか「ふふふ…」と笑ってしまいそうな年中行事です。
みんな、真剣に信じていたのかしらねぇ。
面白がっていたかもしれません。
12月8日に、日本人が魔物になってしまった年があります。
江戸人たちが、こうして、魔モノを払って来る希望の新年を迎えようとか、農新サマに感謝の気持ちで送り出そうというその重要な日も、昭和に入って、逆にヒトが魔モノそのものになってしまった年がありました。
12月8日の真珠湾攻撃。
正月を寿ぐ準備に入らんとする、そんなのどかな一日が、太平洋戦争開戦日であったという皮肉。
理由はともかく、歴史として振り返ってみれば、祓うべき魔モノをわざわざ呼んでみたかのような。
暗く重々しいもので日本中が覆われてゆく、その始まりを呼んでしまった一日でもあったのです。
今日は、江戸人の「事八日」の行事を眺めて、やっぱり、ふふふ…と笑う。
空から降ってくるものは、笊で受け止め、笊籠のチカラぐらいで追っ払える。
こんりんざい、そんなのどかなものだけであってほしい…と、つくづく思ってもみる。
現代人の「事八日」は、そんな日でありたいと思います。
そうでなけければ、年神サマにしても農神サマにしても、だれもいらしてはくれません。
◆今日は、2014年12月8日/旧暦10月17日/神無月癸丑の日
◆日の出 6時38分 日の入16時28分/月の出18時15分 月の入7時40分
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