正月らしい和菓子といえば…の「花びら餅」。
毎年、三が日には食べたい!
いや、せめて、茶道のお稽古はじめの初釜の日=10日ぐらいまでには!
…と毎年思うのですが、結局今頃になる。
・三が日にこだわるのは宮中行事由来。
・初釜には!と思うのは、「花びら餅」は裏千家の初釜のお菓子だから。
ですが、高貴な身分でもなく、茶道をたしなむものではないゆえ、まあ、忘れてます。
で、今年も「なんかないかなぁ~」と初・和菓子屋ウインドウショッピング(これは恒例!)に出かけ、「花びら餅」忘れてたっ!
と買ってきた次第です。
いつものご近所の老舗菓子舗「つる瀬」で買ってきました。
「花びら餅」です。
ああ、忘れっぱなしにならなくてよかったぁ。
「花びら餅」は、由緒正しすぎる和菓子。
どのぐらいの由緒かと言うと…。
◆その由緒となれば、他に並ぶものはない育ちのよさ。
・正式には「菱葩餅(ひしはなびらもち)」といって、まずは、茶道裏千家の初釜の主菓子の地位にある。
・ルーツをだどれば、宮中の正月の天皇の行事食にいきついてしまう。
…といったぐらいの由緒正しさです。
◆「花びら餅」の第一のルーツは、宮中行事。
正月の三が日に天皇の長寿を祈る「歯固めの儀式」というのがあって、そこで供されたモノがその原型となります。
といっても、その最初は、<鏡餅・大根・瓜・押鮎・猪肉・鹿肉などをそれぞれ皿に盛り膳にのせて天皇に献上する>スタイルで、「花びら餅」とは似ても似つかぬ姿かたちです。
それが、時代とともに徐々に簡略化⇒餅の中に具を包んだコンパクト化の道をだどります。
コンパクト化したものは、「宮中雑煮」とか「包み雑煮」とか呼ばれたみたいで、正月に公家たちに配られたものだそう。
なんか、やっと、姿が似てきましたね。
◆雑煮=食事だったのが、見立てでお菓子への変遷をたどる。
一説では…。
・鮎⇒牛蒡で見立て
・味噌餡⇒包み雑煮の具⇒味噌餡化
・包んだ餅⇒最初は餅のままが、やがて求肥に。
と変遷したみたいです。
「包み雑煮」の時代は、甘味はなく、今のものよりずっと大振りだったとか。
まあ、当たり前ですよね。
お菓子というより、お節料理が弁当化したっていうか…食事だったわけですから。
ちなみに、皇居の新年を祝う食事には、今もこのスタイルのモノが「菱葩餅(ひしはなびらもち)」という昔ながらの呼び名で出されているそうです。
が、そちらは天皇家しかいただけないものですが、ああ、一度いただいてみたい気がします。
「菱葩餅」⇒お菓子化は、名店老舗である菓子司・「川端道喜」による。
時は、明治時代。
京都御所へ粽や餅を供御し今も名店老舗である菓子司「川端道喜」が、長く宮中に納めていた「菱葩餅」を、裏千家家元十一世玄々斎が初釜に使うことを許可されたのがその最初だそうです。
そして、やっとお菓子らしくなった。
この初釜で使われることをきっかけに、「菱葩餅」は、裏千家の世界経由で、「花びら餅」という通称を持ち、新年のお菓子として庶民のもとへ。
ああ、いらっしゃいませっ!「花びら餅」さんっ!
庶民でも食べられる現代に生きててよかったぁ~😊。
今年いただく、つる瀬の「花びら餅」は…。
「花びら餅」の基本はけっこう複雑で、丸く伸ばした白餅か求肥に、小豆汁などで染めた紅菱餅を重ね、味噌餡を敷く。
さらに、その上に甘く炊いたごぼうを置いて、2つ折りに挟む。
というのが正式な作り方みたいですが、そこまできちんと作っているのはそうそう出会わないかな…高価になりそうだしね。
で、つる瀬製は、ういろうに白みそ餡を敷き、その上に甘く炊いたごぼうを置いて、2つ折りに挟むスタイル。
「花びら餅」という優雅な名前だってのに泥臭い牛蒡は必須。
つる瀬のにも、もちろんちゃんと牛蒡の甘露煮が挟まってます。
白い餅に薄い紅がうっすら透けて、赤ん坊のほっぺのようにも見えて、なんだかかわいい風情を纏った和菓子でもあります。
ひとつ320円。
けっこうしますね。
いや、他で売ってる花ひら餅は、もっと高くて、ひとつ500円ぐらい?
焦って買に行ったけど、販売は、今月20日過ぎぐらいまでなんだって。
今のうちにお早めに。
そして、私は、もう一回ぐらい食べちゃうと思う。
(※「花びら餅」の原型に関しては、「日本年中行事辞典」鈴木 棠三・著の正月の章/「菱葩」「葉固」を参照しました)
◆今日は、2015年1月12日/旧暦11月22日/霜月戊子の日
◆日の出 6時51分 日の入16時48分/月の出23時19分 月の入10時29分