「寒中丑の日」って知ってました?いってみれば、江戸時代のコスメ商戦ですかね。現代にも復活させてほしく!/1/13=旧11/23・己丑

今年の寒の入りは1月6日で、それから2月3日の節分までが「寒の内」。
今が、1年でいちばん寒いとされる季節ですが…。

夏の土用丑の日に鰻を食べる…のように、寒の内の「丑の日」にも、かつては艶やかな風習があったみたいですよ。

それが「寒中丑紅(うしべに)」。

紅花を原料とする「紅」は薬効もあり、寒中に製造したものは、ことのほか品質が良く発色もあり。
特に「丑紅」と呼ばれました。

丑紅

こんな色合いですかね。

さらに「寒中丑の日」に紅をつけると、口から入る疫病や虫まで殺すとか、こどもの疱瘡に効くという俗説まで存在していたんだって!

そんなことから、江戸から明治時代あたりまで、寒中丑の日には、紅を扱う小間物屋の店頭に「今日丑紅」と張り紙登場。
紅を求める女性たちで大賑わいもし、「寒紅売り」という行商まであったんだとか。

今年の寒中丑の日は、1月13日と25日

現代にだって、この日に積極的にルージュを売るなんてことがあるといいのになぁ。
…と、一応、街を巡ってみたりもしますが、いまだその気配はなし。

コスメ商戦用にでも復活させたらどうかしらとも思うのですが、いかがでしょうか。

夏の丑の鰻は源内、寒中丑紅を流行らせたのは式亭三馬…?

いや、すみません。
これは、私の妄想です。

江戸の戯作者であり浮世絵師でもあった式亭三馬は、日本橋で小間物屋を繁盛させながら創作活動でも成功したという方。
彼は、自らの店の商品「江戸の水」といういまでいうところの化粧水を、自作小説の作中人物に使わせ「美人になった」などと描き、商品の大ヒットを飛ばしたというアイデアマンでした。

当然、式亭三馬の店で、寒中丑の日の「丑紅」をあつかったのは想像に難くなく。
ならば、ここでも歴史に名を刻めばよかったのに。
…と、つい残念に思ってるんで、この妄想です(笑)。

式亭三馬は、戯作者の元祖でもあった平賀源内に憧れていたと伝えられ。
ならば、憧れのヒトを真似+「江戸の水」の二匹目の土壌をねらい、小説に書く、これぞというコピーを書く。
..などをして、式亭三馬が丑紅商戦に積極的にのりだしていれば、現代にも土用の鰻なみの風習として残ったかも。

…と止まりません。
…繰り返しますが、これは、個人的な単なる戯言、妄想ですよ。

「寒中丑の日」の紅には、景品として牛の置物がついた

話を妄想から戻しまして、景品だったといわれる牛のコトを少し。

その牛は、天神様の「撫で牛信仰」に関連させた、縁起物として配ったらしい。
その際、その牛の置物の下には赤い座布団を敷き、神棚に供えて拝むと、その一年は着物に不自由しないという言い伝え。
そんなことも加わって、「丑紅」は空前の人気を集めたようです。

牛の文鎮

っうことで、その伝承にあやかり、写真は、赤い座布団の代わりに紅で染めた紙に牛の置物を乗せました。

牛は、普段愛用中の、亀戸天神「神牛文鎮」
ふふふっ、正真正銘、天神様の「撫で牛」に縁深い、牛の置物ですよ。

…で、私は、やっぱり妄想止まらず。
これから、式亭三馬と「寒中丑の日」の関連痕跡探しに入ります。
つまり、その著作から1冊を選んで、読みつつ探す。

ということで、未読だった『浮世床 四十八癖 』(新潮日本古典集成 第52回)

式亭三馬 浮世床

◆今日は、2015年1月13日/旧暦11月23日/霜月己丑の日/下弦の月
◆日の出 6時51分 日の入16時49分/月の出–:- 月の入11時01分