今日は、春と冬を分ける「節分」の日。
春と冬の狭間の今日、多くの神社仏閣では災厄を祓い春を迎える「節分祭」が執り行われます。
有名どころでは、著名人を迎えての豆まき大会も催されるのが恒例。
夕方のニュースになったりもしますね。
もちろん、ご近所で我々を見守る鎮守様の節分祭もそれも、伝統をつないで見ごたえあり。
たとえば、我がご近所の…。
諏訪台地に鎮座する諏方神社では…。
豆を打ちつけられて…。
悲しげに追われてゆくモノ。
この白い長髪、赤と青のあでやかな装束を身につけた異形のモノ。
上野から王子を東西に結ぶ諏訪台地にある鎮守・諏方神社から、氏子たちによって追われゆく赤鬼です。
ちゃんと、作法にのっとり鬼追いの行事が執り行われたら、賑々しくも楽しみなご近所の歳男歳女による豆まきもはじまりますよ。
節分祭は、この鬼追い行事が興味深い。
諏方神社のこの行事は「鬼追い」と呼ぶモノですが、ほかにも「追儺」や「鬼やらい」とか
…神社寺社によって、呼び方はいろいろ。
様式も千差万別で、鬼と宮司などが寸劇風問答し、説得されて鬼が去るという「鬼問答」スタイルまである。
(東京では、五条天神の「うけらの神事」でその様子が見られますよ!)
また、鬼が登場するに先立ち「矢放ちの神事」とか「蟇目式」など弓矢を放って厄払いする儀式があるのが基本だけれど、それも千差万別。
つまり、神社仏閣に祀られている神さま仏さま由来によって、「節分祭」は、けっこうなバリエーションらしいっ!
これらがまったく同じ「節分」の2時・3時ごろから執り行われるのですから…。
その時刻に日本列島の上空から神の目線で俯瞰して、そのすべてを眺めてみたらそりゃあさぞかし…だろうねぇ。
と、思った日から、私の1年に1回の節分祭行脚が始まってしまいました。
ってコトで、本日は、諏訪神社ではなく別の場所へ行く予定。
なんだけど、まだ朝の時点でどこにいくかまったく決まっておりませんっ(汗)
思えばかなり不思議な節分祭という祭り
まずは、家々の軒先や玄関に、焼いた鰯の頭と柊の枝葉という節分飾りが相当ユニーク。
日本列島西のほうでは、ずっと前から恵方に向かって無言で太巻きを一気食い。
…ってのもすごすぎる行事だし。
それも、いまや全国区って、受け入れられ方もニッポン人って懐が広いって言うか、何も考えてない?
そもそも、節分の夜に、見えないはずの鬼が突然姿を現したと思ったら、豆で追われる。
こんなみょうちきりんなストーリーの作者は誰なの?
…とか思ったり。
その豆だって、さまざまな意匠で飾り立てちゃう凝り方だしね。
これって、冬から春へ移りゆく1日が、もうそうとうな一大事ゆえなのでしょうか?
特に興味深いのは、追われるものの象徴としての「鬼」。
姿形は異形ですが、節分の行事には鬼がなければ始まらず。
それに扮するために整えられた衣装や面のデザインは派手で凝っていて何よりも目を引く「鬼」。
なんか、すごく大切に守られてきた感じ濃厚です。
日本人は、「鬼」という異形を作りつつも、それを一方的に悪者にするだけではない、恐れ敬い感謝しているね。
…と感じてしまうのですが、いかがでしょうか?
昔のヒトは、疫病や災害などの自然の一部、脅威の部分を「鬼」に見立てた。
そうゆう脅威を背負って追われてゆくなら、「鬼」は私たちの身代わりであるかもしれません。
実際、鬼は、突然現れて、普段は見ない異形でもって人々をハッと驚かせ、人のココロに溜まった何かを、栓をぽーんと外して抜いてゆくように持っていく。
…節分祭には、そんな演出が施されているような気が。
すべてのものが芽吹き始める春は、カラダに溜まった不要物を排出する季節。
節分は、その日々に先立ち、いろんなものに縛られて自ら浄化できないことを、こうして鬼が解放してくれる一日なのかもしれません。
さあて、今年は、どこで、ココロを開放していただこうかしらん?
◆今日は、2015年2月3日/旧暦12月15日/師走庚戌の日
◆日の出 6時40分 日の入17時10分/月の出16時42分 月の入 5時44分
◎こちら記事もよろしければ
節分につきものの「恵方」のコト⇒「恵方」ってなに?それはどっち?恵方の求め方をまとめてみました。