2011年3月11日の夕刻。
私は、東京の街を徒歩で自宅へ向かう帰宅難民のひとりでした。
歩道からあふれんばかりの大勢のヒトも、車道に延々連なる車が細長い巨大な駐車場のように見えたのにも驚いたけど。
東京にいる人たちはなんだかんだいって元気だったから、別に怖くもなかった。
しかし、あの経験からか、3.11以後と以前は私に大小の変化をもたらして、以降、荷物がどんなに重くなっても持ち歩く
プチ防災グッズ。
チョコレートに水。
笛の紐先につけた、リトルミィは、有事の際にすぐ取り出せるため…と、和み用(笑)。
これをひとまとめにして、外出時のバッグに入れる。
チョコに水は、交通網が乱れた東京都内は、物流が止まる⇒瞬間的にコンビニに食料や水が無くなる⇒最低一晩はそれが続く。
という事実を知ったから。
翌日には食料は補充されていたけれど、地震発生からの数時間に必要なモノがないのは怖い。
そして、笛は、歩いて帰った幹線道路にも崩れ落ちそうなモノがあまりにもたくさんあると知ったから。
何かの下敷きや閉じ込めにあった時、所在証明用に役に立つんじゃないかな…と。
あと必要なのは、携帯の充電器かなぁ…。
携帯ラジオももっていたけれど、Twitterに流れる情報は、それより早く、かなり使えた。
といっても、このプチ防災グッズも、自宅に防災用品を備えるのも、東京に大地震が来て、それでも生きられた時のリスクヘッジなんだよなぁ。
とか思いつつ、今日は、防災グッズを確認補充しながら、あれこれ長々と思考するのが、私の3.11.
不思議なのは、モノを補充しながら、モノを捨てて身軽になっておきたい…とフツフツと思えてくるコトで。
つまり、3.11以前と以後の大きな違いは…
ヒトは死ぬんだというコトが身近になったということか。
となれば、モノは最低限でよし。
いちばんやりたいことを最優先。
…って生き方に憧れるし、となれば、
さしたる根拠のない思い込みとか常識とかは、思考停止の裏返し。
寄らば大樹のスタンスでは、貴重な残りの時間を無駄にするかも。
…って強く思うよね。
だって、たとえば、国の政治は、被災地になにか有効なコトをしてくれたんだろうか?
と今年も変わらず思う不信感。
具体的な被害を受けなかった私も、なにかがガラッと変化したのは、やっぱりあの日。
2011年3月11日の東日本大震災は、被災したヒトにはもちろん、それ以外の多くのヒトにとってのエポックメイクな1日だった...と改めて。
というよりその思いが年々強くなってくる、3.11から4廻り目の今日。
◆今日は、2015年3月11日/旧暦1月21日/睦月丙戌の日
◆日の出 5時58分 日の入17時44分/月の出22時47分 月の入 8時49分