今日は、二十四節気の「春分」にして、お彼岸の中日。
さらに言えば、国民の祝日でもあって、祝日法では「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨とした休日。
あれれ?
先祖を敬うとか、お墓参り的な趣旨ではないみたいですね。
ちなみに、二十四節気の中で、祝日になっているのは、「春分」と「秋分」のみで、その「秋分」は、「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」ことを趣旨とした国民の祝日。
ふーむ。
同じでいいじゃんね。なんで無理くり違う趣旨にしたんだろう?
まあ、いいか。
牡丹餅を作り、仏花とお線香を持ってお墓参り。
東北の街の母の家では、まずは牡丹餅つくり。
もち米を炊いて搗き、大雑把に丸めて、餡子、胡麻、ずんだなどをまぶす。
春彼岸も秋彼岸も、ほとんど同じ作り方をするコレを、春は牡丹餅、秋はお萩と呼び分けるこだわりが、私はすごく好き。
しかも、その頃咲いてる花から名前を持ってきたセンスもいいよねぇ。
そんな、先人のこだわりみたいなモノ。
それが、お彼岸にはこの供物、と、ずーっと続いて来るにあたって、密かなチカラになっているように思うのですが、いかがでしょうか?
春分の日は、太陽が真東から出て真西に沈む。
いつもの『暦便覧』では、「日天の中を行て昼夜等分の時なり」と説明されていて、昼夜の長さが同じになる日でもある。
天文学的には、若干昼の方が長いらしいので、昼の長さ≒夜の長さという日というのが正しいんだけどね。
仏教では、太陽が沈む真西が阿弥陀さまが住む極楽浄土。
そこは祖先の霊も安らかに暮らす場所でもあって=「彼岸(ひがん)」と呼ばれ、一方、現世である「此岸(しがん)」は、生老病死の四苦のあるこちらの世界。
それが、1年の内、春分と秋分の2回だけ、すごく近づくんだそうです。
だから、逝った人々を思って供養する。
そういえば、夜明けが早く日暮れも遅くなったなぁ…と感じるのは今ごろだし、お彼岸の時期が晴れならば、夕暮れ時の西の空は、美しいオレンジ色。
なんとなく、その彼方に、極楽浄土があると信じて祈った人々の気持ちが、現代人の心にも解るような日々です。
さあて、現世の私たちも、牡丹餅をご相伴させていただいて、お墓参りにでかけましょうか。
ちなみに春分の日に彼岸の行事を行うのは、日本独自の習俗だそう。
仏教が盛んなインドにも中国にも同じ例は見られないのだそうですよ。
◆今日は、2015年3月21日/旧暦2月2日/如月丙申の日
◆日の出 5時44分 日の入17時53分/月の出 6時07分 月の入18時55分