「植物学の父」ともいわれる牧野富太郎博士は、明治維新直前の1862(文久2)年4月24日(新暦だと5月22日になっちゃうんですがそれはそれ)、土佐生まれ。
江戸、明治、大正、昭和と植物ともに生きて、1957年(昭和32年)94歳で逝きました。
今日は、牧野博士の誕生日。
そして、その記念すべき日を由来として、植物学の日となりました。
偉人の死が記念日になる例は多いけれど、誕生日が記念日になるってけっこう珍しいかも。
たぶん、命日が1月18日だったので、より植物が生命力を増す初夏の今ごろを選んだのだろうと推測。
だけど、牧野富太郎博士のコトを思い描くとき、湧き出るような生命力を思うのは私だけじゃないように思う。
だから、逝った日より誕生した日が記念日になったのは、何かとてもこの方らしい気がするのです。
田舎育ち+『牧野日本植物図鑑』=植物好き
このブログのネタの大半がけっきょく、草とか花とかだったりするのからもお分かりのように、私はけっこうヘビーな植物好き。
しかも、空き地や土手や…つまりその辺に普通に育って咲いて散り、朽ちる…というモノが好き。
それは、もとをたどれば、学生時代、生物教師が熱烈に薦めた『牧野日本植物図鑑―学生版』と、そこに解説された草々に日常的に出会える田舎育ちのせいであり。
つまり、おおもとは、牧野富太郎博士の影響…なのである。
なんちゃって(笑)。
だから、こんな標本を見た日には…。
どんな偉大なアート作品を見た時より心躍る。
標本栽培用に区画され、名札が施された場所なんかは…。
私に言わせりゃ、地面に置かれた宝石箱のようです。
博士の書斎も好きすぎるたたずまいだし。
研究に使われた道具たちにも、ココロ惹かれる強力な何かが潜むようにしか見えないし。
いつも見られるわけじゃないけど、こんな牧野博士が使っていたハンコ。
「の」を「巻いて」→牧野(まきの)って意味?
ああ、おちゃめすぎだよ。
…ってコトで。
植物学の日には、ゆかりの場所に行ってみよう!
誕生の地である高知には、高知県立牧野植物園という立派な記念施設があって、いつかはそこへもと思う。
が、近くにこじんまりとしたいい場所があるので、もっぱら植物学の日はそちらへ向かう。
東京練馬区の大泉学園駅から程近くにある「牧野記念庭園」。
ここは、晩年の住居を改装整備し、一般に開放した場所。
敷地内には、植物学と牧野博士由来のさまざまな展示ギュっとつまった感じの小さな記念館。
そして、「庭園」というには小さな庭にも、約300種類もの草木類が植えられています。
ちなみに、上の写真の牧野博士による植物標本や道具もかつて記念館で展示されたものだし、見本園は今も庭園の中にあります。
企画展もいちいち充実した内容で⇒過去の企画展はこちら
で、今は何をやっているのかなぁ?
と思ったら、あららっ!
漫画家・高野文子さんの著作『ドミトリーともきんす』をテーマにした企画展みたいです!⇒詳細はコチラ
そうそう、不思議な学生寮「ともきんす」の2階には寮生として科学者たちが住んでいて、朝永振一郎、中谷宇吉郎、湯川秀樹とともに牧野富太郎もいるんだよねぇ。
やっぱ、これは行かなくちゃなぁ。
そして、牧野博士の眠る場所にも足を運ぶ
実は、博士は、今、私のご近所、谷中の墓地の片隅に眠っています。
正確には、墓所は東京都台東区谷中の天王寺。(といっても、谷中霊園と同じ場所といって差し支えないでしょうね)
天王寺山門からすぐの場所に立つこの石碑。
これを目印に道なりに進めば、迷わず行けます。
お墓参りに伺ったある日、普通のお墓だというのに、ちょっと不思議な佇まいに見えた…。
なんでかな?
とじーっと眺めすぐに了解。
というのも、墓碑に、仏花にまじってタンポポとぺんぺん草が手向けられていたからでした。
お墓だというのもかまわずに、幸せな佇まいをかもし出し、手向けたタンポポ、ぺんぺん草に牧野先生も喜んでいらしてたかもね。
牧野先生。
153回目のお誕生日おめでとうございます。
◆今日は、2015年4月24日/旧暦3月6日/弥生庚午の日
◆日の出 4時58分 日の入18時21分/月の出 9時28分 月の入23時37分