梅は最後の勢いを見せ、寒桜咲き、雑草たちも花咲く今頃。
1945年の3月上旬も、ささやかな春への希望があったかなぁ。
…なのにと思う。
例えば、ここも東京大空襲の被害に遭った向島百花園。
梅の花が最後の勢いを魅せて、美しくも長閑な光景を眺めつつ、あの日だってこんなだったかもしれない…とも思う。
東北育ちながらも、長く東京に住み。
深川、本所、向島などを散歩して楽しむ私にとって、今日は特別な一日です。
毎年出版される、関連本から一冊。
例によって、今日を過ごす特別なことは関連の本を読むぐらいしかないのですが。
それでも今年は、フィクションながら、読み手に空襲と戦争のリアリティを与えてやまないこの一冊。
主人公は、アメリカ人の父と日本人の母を持つ、タカシ。
アメリカのシアトルで暮らしていたものの、かの地では日本人差別が過酷さを増して、日米開戦の前年に母とともに帰国した少年である。
物語は、彼と彼の家族&友人たちの3月7日から3月10日深夜=東京大空襲までの4日間を描く。
特に、東京大空襲の中を逃げ続ける「その夜」の章には戦後生まれの作家とは思えないリアリティを感じた。
爆撃の恐怖、そして焼夷弾によって燃え盛る街自体が凶器になってゆくなか、逃げ惑う恐怖。
それが、事実に基づいているのだと改めて考える恐ろしさ。
そんな思いを感じつつ読者も下町の人びとと一緒になって、途方もなく長い時間、逃げ続けたように感じるのである。
さらに言えば、その空襲を企てているのは、主人公タケシの父親の国であるという悲しみも一緒に背負う気になってゆく。
実は、2019年の3月7日から読み始め、日付けを併せて読み進めようと思っていたのに、翌日8日には読了。
今日を迎えることになった次第。
それでも今日は、再度、3月10日深夜から朝までを描いた最後の章を、東京下町の地図を手元に再読する予定。
3月10日深夜零時数分すぎ、焼夷弾の第一弾が東京の街に投下。
そして、それから約2時間半。
今日は、東京の町がアメリカ軍による波状絨毯爆撃に襲われ続けたその2時間半を自分なりに想像しつつ、過ごす一日。
今日は、どこをどうひっくり返して考えても、ひとがひとを襲うという、馬鹿げた話に憤りを感じる一日。
そして、今日は、それが事実としてあったことを、毎年毎年、繰り返し、できる限りのリアリティをもって、確認する一日でもあるのです。
◆今日は、2019年3月10日/旧暦2月4日/如月丙午の日/月齢3.5日
◆日の出6時00分 日の入17時44分/月の出8時01分 月の入20時58分