筍を持っていって、塩竈のカミサマの御塩をいただく。
母の小さな竹林の筍が今年は超豊作にて、我が家に友人の分まで送られてきた。
その筍を理由に、ややびくつきながら友人とお茶(←3月上旬から友人知人&仕事のやりとりはメールのみだったので、な、なぁあんと約4ヵ月ぶり)。
筍を差し上げたら、鹽竈(しおがま)神社の「御神塩」をいただいた。
なんと今年の2月に塩釜に旅した時のお土産なんだとか。
鹽竈神社かぁ、懐かしいっ!
実は学齢前の数年、私はこの神社の近くで育ったのである。
そして、東日本大震災の数年後、発作的に行きたくなって母と一緒に出掛けたなぁ…との記憶。
さっそく写真を探してみる。
筍⇒鹽竈神社の御神塩⇒東北旅情と思い連なる。
母も勝手に生えてくる筍を近所に配って、収穫したばかりの新玉ねぎとか、お料理上手なご近所さんのお菜とか、高価なお菓子まで。
「わらしべ長者」ぶりを発揮してるが、私もそれにあやかった気分。
筍を持って行って、東北の旅情をいただきました。
鹽竈神社は、長い石段を登るような高台にあり…。
ちなみにこの長々しい石段を含む道が表参道。
探せば、この石段を背景に、シェーッ!のポーズをとった私の写真とかあるんじゃないか?
境内には優雅なたたずまいの拝殿。
神職の方の装束も雅な美しさである。
そして眼前に広がる塩釜湾。
2015年に突然思い立って出かけたここは、鹽竈神社の足元まで津波で覆われた場所。
4年たって修復は進んでいましたが、その痕跡はあちらこちらに街の記憶として残されていました。
逆にのどかな港町だった子どもの頃の記憶は、神社の長い石段以外、すべて塗り替えられたようにピンとくるものはありません。
いつでも行けそうな場所も、こうして時に暴力的に変えられてゆく。
あるいは、コロナ禍の外出&移動自粛のように手の届きにくい場所になったりもするものです。
御神塩は玄関にお祀りする。
この御塩は「事にふれたときのお祓い」「玄関先の盛り塩」等として使うものなのだとか。
それではと、玄関にいていただく。
こうして禍々しいものに結界を張ったつもり。
しかし、旅情はどうぞご自由に入ってきてください。
◆今日は、2020年6月12日/旧暦・閏4月21日/卯月丙戌の日/月齢20.4日
◆日の出4時25分 日の入18時57分/月の出–:– 月の入10時24分