JR山手線鶯谷駅…の「鶯谷」の謎??

いや、すみません。
謎でもなんでもなくて、鶯谷の由来の話なんですが…。
もし、JR鶯谷に、足を運ぶことがあったなら、「ぜひとも気にしてほしいわっ!」と思ったもんでついおおげさに言ってみました(笑)。

気にしてほしいのは、JR鶯谷駅の南口改札を出たところ。
御用とお急ぎでない方は、そこでちょっと壁面右上の方を見上げていただけますでしょうか?

ひっそり「鶯谷の由来」と題した流麗な文字の看板があります。

それはこんな風なモノです。

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これによれば「鶯谷」という地名はもともと駅の北西側の谷中近辺のことを言ったのだとか。

今は谷中という地名ですが、明治2年にこの界隈につけられた地名は「初音町」。
それは、この辺りに、鶯がたくさん棲むことから「初音の森」と呼ばれる森があったからだそうで、その名は、今も通り名や公園名に残されているので、だいたいあのあたりかと見当が付きます。

そのまさに谷中の「初音通り」には、今も、霊梅院、龍泉寺、海蔵院、長明寺と古くからの寺が軒を連ねますが、その下は、かつて初音の森から連なる谷であり、人々は、その場所を「鶯谷」と呼びました。

これも、もちろん鶯の名所だったからだそうです。

では、何故に鶯の名所になったのか?

そこにもちゃんと理由があって、「鶯谷の由来」は、そのまま江戸の地誌「江戸砂子」を引用して続きます。

「元禄の頃、東叡山輪玉寺の宮、すなわち上野の宮様が京鶯を数多くここに放たれたので、年の寒暖によっておそい早いはあるが、立春二十日頃から初音を発した関東の諸鳥の囀りがみな訛りがあるけれど、当初の鶯は皆上方の卵なので東国の訛りがなく音色に優れていたという」

東叡山輪玉寺の宮とは、江戸の宗教的権威のトップをしめる地位で、日光東照宮と上野寛永寺の両門主を兼ね、必ず皇族が勤めていました。

だから京から派遣されてきた上野の宮様。

「鶯の声に訛り??」と、権威あるお坊様の無邪気さにちょっと笑ってもしまいます。

が、この話が本当のことであれば、東国の鶯の鳴き声がお気に召さなかったことが、江戸市中に鶯の名所をひとつ作ったということにもなります。

そういえば、かつて谷中は、鶯の鳴き声を聴くための別荘地であったという話も聞いたことがあります。
早春の頃、さぞかし見事な鳴き声を披露していたのでしょう。

ということで、本来ならば、谷中に近い現・「日暮里駅」が「鶯谷駅」になるべきだったんでしょうが、やはり寛永寺の裏手の駅に軍配が上がったのでしょうね。

そして(と並べるのもおこがましいのですが、まあいいか)、この話を知ってのちのわたくし。
初物の鶯餅は、かならず、立春から数えて二十日ごろに、かつて「鶯谷」と呼ばれた界隈の和菓子店から買い求めることにしているのです。

…まあ、それはどうでもいいかしら?

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