江戸末期の考証家に斎藤月岑(げっしん)という人がいて、町名主を続けながら、せっせと江戸の町についてのあれこれを記録、著述したことで知られています。
特に、1838(天保9)年刊行の『東都歳時記』は、江戸の年中行事を月別に記した書物で、江戸の風俗を知るには大変貴重。
それが、現代にも東洋文庫から復刊(ここのいちばん上の写真の右側の本)されて、このブログを書くにあたってもっとも頼りになる参考書のひとつ。
その、『東都歳時記』の2月の項の最後に、今月(つまり新暦なら3月から4月の)おススメ景観として江戸の桜の様子が、かなりのページをさいて紹介されております。
特に面白いのは、立春からカウントして指し示した桜の見ごろの記述。
たとえばそれは以下のような感じです。
◎「彼岸桜」 立春より五十四・五日頃より。
◎「枝垂桜」 同じ頃より。
◎「一重桜」 立春より六十日め頃より。および、立春より六十五日。
◎「八重桜」 立春より七十日の頃より。
◎「遅桜」 同じ頃より。
ちなみに、立春は、2月4日でした。
さっそくそこから数えてみましょう。
「彼岸桜」と「枝垂桜」の開花は、3月29・30日あたり。
「一重桜」は、4月4日頃~4月9日。
「八重桜」と「遅桜」は、4月14日頃。
…となるでしょうか。
今日は4月4日。
惜しい!
数日前なら、現代の「一重桜」の代表格「染井吉野」の見ごろでした。
ここ数日は雨で、見ごろからはちょっと…でしょうね。
それでも、コレはもうほぼ誤差の範囲。
江戸人の知恵というか経験知というか、侮れませんね!
ということで、数日間前(4月1日・2日頃=立春から58・59日目)の、ご近所の代表的な桜をここに羅列いたしましょう!
まあ、四捨五入で60日目ってコトで(笑)
◎まずは、谷中の我が標本木(4/1)。
いやぁ、咲きましたねぇ。
いちおう、寄りでも。
桜は、ずいぶん高いところで咲いているのですが、みんな下を向いて咲くので写真も撮りやすいです。
ところで、『東都歳時記』では、各種、桜の開花予想のあとには、桜の名所たる場所が羅列され、中でも東叡山が圧倒的に多く、しかも、その場は上記すべての桜を網羅します。
東叡山とは、上野寛永寺の山号。
つまり現代の上野公園のあたり。
「上野のおやま」は、ずっーと江戸東京随一の桜の名所であり続けているんですね。
◎ということで、上野公園の様子(4/1)。
公園の入り口から、並木を観ればこんな感じ。
うーん、写真では満開な感じしないなぁ。
そうとうに咲き乱れておりますし、この桜の下には、桜と同じぐらいの密度&乱れぐあいでヒトがいる。
平日の昼間だというのに通行不能なぐらい混んでいます。
…って、今日は祝日?じゃあないよ。
こちらは、国立博物館側からの光景。
空が半分、ピンク色に染まっておりますね。こっちからの方が、きれいに見えます。
◎やはり、ココに並べてみたい、一押し桜スポット。(4/2)
さて、ココはどこでしょうか?
雰囲気ある桜の小道風。
実は、コレも小石川植物園。
並木の桜ももう一度見せちゃう。
こちらの桜は、枝先が地面に向かっているので花が目の高さで、そこも好き。
ほーっ、コレはカワイイ。
大島桜だそうです。
ココの桜は、場所柄、品種の名札をいちいちつけているのもいいところです。
この並木を越えて、もっと奥へ行けば、そうとう背高な桜もあって…。
と、園内の太郎&次郎稲荷にあやかって、勝手にそう呼んでおりますが、右は「エドヒガン」、左は「シダレザクラ」です。
これは、もう盛りを越えているので、江戸人が言う”「彼岸桜」と「枝垂桜」、立春より五十四・五日頃”を守って律儀に咲いたみたいです。
さて、昨日も雨。今日は、さらに冷たい雨降りの予想。
いよいよ花散らしの雨になっちゃうかなぁ…。
できれば、入学式の7日ぐらいまで咲いててほしいモノですが、今年はやっぱり無理でしょうか…。
◆今日は、2014年4月4日/旧暦3月5日/弥生乙巳の日