灌仏会と釈迦の降誕伝説

さて、「灌仏会」の今日。
せっかくですので、灌仏会の由来というか、お誕生日のイリュージョンシーンをちょっと語らせていただこうかなと思う次第です。

だってね。
もうそれは、いったいどこのどなたか知りませんが記録に残してくださりありがとう!
と、ひれ伏したいぐらい興味深い。

まずは、美しく花を飾った花御堂。

天王寺2

これは、お釈迦様の誕生の地ルビンニの花園を表し、甘茶をかけるのは、産湯をつかわせるために9つの竜が現れて、天から清浄の水=香水を注いだという伝説に由来するのだそうです。

これにちなんで飛鳥時代の伝来いらい誕生仏に香水を灌ぐ儀式が行われてきましたが、それが甘茶になったのは、江戸時代から。

しかも、江戸市中の寺院の境内には、この日に限って竹筒の店が並び、参詣者はそれを買って、お釈迦様の甘茶を入れて持ち帰ったのだとか。

『東京年中行事』(東洋文庫)(このページのいちばん上の写真の左側)によれば、
そのカタチは、「青竹の一節を切って角の長い手桶の形にこしらえたもので、それには丁度その手桶の中へ入るような小さい杓が付いておる」のだそうです。

現代は、境内で甘茶がふるまわれるものの、それを持ち帰る習慣はなく、しかし、こう詳しくユニークなカタチを解説されると、欲しくなるというものです。
どなたか竹筒を復刻して境内で売っていただけないものか!

ちなみに、持ち帰った甘茶は何に使うかといえば、硯に満たされ墨を磨り、あるおまじないを紙に書く。

その言葉は、『近世風俗志』(喜田川守貞 岩波文庫)に「今日の甘茶を墨に磨り”千早振る卯月八日は吉日よ、かみさげ虫を成敗ぞする”という歌を書きて、厠に貼り置けば、毒虫を除くと言い伝え」とありました。
この甘茶で習字をすれば上達するとも言われたそうです。

…と、いきなり江戸時代に話題がそれましたっ!失礼!!

古代インドに話をもどしまして、お釈迦様のお誕生シーンを

お釈迦様の母親・摩耶夫人が、白い象が体の中に入る夢をみて妊娠したことから始まる釈迦の降誕伝説。

それは、華やかで美しいお話ですが、やはり歴史上の人物のものにしては、神話めいた創造性に満ち満ちています。

臨月が近づいて里帰りの途中、実家近くのルンビニ園で休憩をとっていた摩耶夫人は、美しく咲き誇っていた沙羅双樹の花を愛で一つ摘もうと右手を伸ばします。
そこで、突然おなかの子供は、夫人の右の脇腹から生まれ落ち…。

めくるめく奇想天外なる降誕シーンのはじまりはじまりっ!

お釈迦様が誕生したその瞬間、それを祝して天から花の雨がはらはらと降り注ぎ、いつのまにか竜まで飛んで現れて産湯用に天から浄水を降らせます。
さらに、これも何故か唐突に仏教の守護神といわれる梵天さまが現れて、うまれ落ちたお釈迦様を受け止めるっ!!

次には、仏教ワールドの軍神たち、持国天・増長天・広目天・多聞天らに抱かれて、黄麻の産着にくるまれ、ほっと一息。

いやっ!

そんな間もなく、生まれたてのお釈迦様は、そこで、すくっと立ち上がって東南西北を順に見回し、北に向かって7歩歩いた。そして、右手を上にあげ左手を下に向けて天と地を指し示し、「天上天下唯我独尊」と言ったのだそうです。

神社仏閣の年中行事は、昔のヒトのイマジネーションの宝庫

こうした話を知るにつけ思うのは、「いったいこれほどの物語を創ったひとは誰なのか」とか、
伝えてきた人々による物語の洗練というのもあるはずで、「その経緯のこと」だったり…とか。

さらに、それと並べて語るには、ややしみったれてはいるものの、江戸人によって作られた「虫除けのお呪い」だって、やっぱり同じく、そう考えれば、いっそう興味深くありませんか?

今日の「潅仏会」に限らず、様々に今に伝わる神社仏閣の年中行事に臨みながら思うのは、いにしえ人のイマジネーションの豊かさと、それを年中行事という継続性の高いイベントにしてしまったクリエイティブなチカラのことだったり…。

現代に作られたあらゆる物語や流行、イベントは、いつも数年で消費されて廃れ、これからたとえば100年続くものがあるなどとはまったくもって思えない。
そんなふうに考えてみたとき、これら何百年もつづき、これからも続いてゆくだろう「行事」の偉業ぶりが際立ってきます。

中でも、この釈迦の降誕伝説。
これは、実在したお釈迦さまと同じ時代に行き傍にいて、その行動や考え方に感銘を受けた弟子や信徒たちが、その感動を後世にどう伝えようかと知恵を出し演出を考えた結果ではないか。
…などとは、やや、うがちすぎな見方でしょうか。

年中行事に出かけて、その素晴らしき由来、伝説の類を知るたびに、その裏にあって、まったく語られないけれど、非常にすぐれた創作と編集の歴史というのを、こうして時々思ってみたりするのです。