兜市気分で鯉を買う。もちろん紙だけど/旧3/28・戊辰

つい最近、雛祭りが終わったばかりな気がするのですが、もう世間の飾りつけは、端午の節供仕様です。

雛祭りから桜の季節へ連なる華やかさとはまた趣を変え、ショウウインドウは、雄々しい印象に様変わりです。

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浅草橋の日本人形の老舗店には、もちろん鎧兜や武者人形などの五月人形が所狭しと並び、店内は、なんとなしに勇壮な雰囲気を放っている頃。
江戸時代なら、同じく卯月(旧暦4月)も晦日(月末)ちかくなれば、街は、「兜市」で賑わう季節だったようです。

江戸末期の考証家・斎藤月岑による『東都歳時記』どんな本かはコチラ、いちばん上野写真の右側)によれば、「四月二十五日より五月四日冑人形菖蒲刀幟の市立ち…」に始まり、その様子が詳しく記録されています。

市が立つ場所は、早春のころ雛市で賑わったのと同じく、十間店本町、尾張町、人形町など。
特に、現在の日本橋室町3丁目付近、つまり現在の日本橋三越がある通りに立った日本橋十軒店の露天市が、やはり雛市と同様、規模が大きく有名だったようです。
扱われていたものは、端午の節供の飾りに必要な一切合財で、同書からここに書き写せば、「甲冑上り冑・幟・旗挿物・馬印・菖蒲刀・長刀・鎗・弓・武将勇士の人形」などなど。

そして、雛市と、がらり様相が変わるのは今の浅草橋の様子と似ています。

もう一冊。

明治・大正の浮世絵師・菊池貴一郎(四代目歌川広重)によって描かれた『絵本江戸風俗往来』(東洋文庫)という本も、江戸の年中行事や風俗全般に詳しく、そこにも兜市の様子が記録されています。

ちなみに、こんな本です。

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曰く「大名方、旗本衆ならびに町方の富める家々は前々より調べ、注文御出入にて引き受けて納む。十軒店見世売はこの以下び需めに応ず。されば品物も店先に飾り並べて商ふは並製多し。もし上物を求めんとならば、前々より注文し、金力を惜しまざるにしかずとなり」

これによれば…
身分の高い方々や裕福な商人→前々からしかるべき店に注文しおき、この時期に届けてもらっていた。
庶民→十間店の露天売の節供用品を買った。

つまり兜市は、庶民の為にあったということですね。

「品物も店先に飾り並べて商ふは並製多し」とあっても、武士仕様の端午節供のお飾りを、町民庶民が買い求めて狭き我が家に飾り、わが子の成長を祝っていた…と想像すれば、なんとなく、豊かで落ち着いた江戸人たちの生活が彷彿とされます。

この兜市も、雛市同様、明治の初めまで続いたものの、明治6年の新暦導入の年に発令された「節供廃止令」で第一打撃、そして新興の百貨店が五月人形を扱い客をとられて…と、雛市と同じ理由で衰退してゆきます。
ショウウインドウに並ぶ高価なものもいいけれど、露天市で駆け引きしながら買い求める、やや粗末な節供人形。
やはり、そうゆうものもあってこそ節供行事の面白さなんでしょうが、なんとなく残念です。

ということで、雛市のときと同様、いまや幻となった端午の節供を思い、これぞというものを探してみました。

やっぱり、こうゆう時は、谷中の江戸千代紙の老舗「いせ辰」です。

20110401兜市

「鯉幟の組立錦絵」今度はポストカード仕様をGET!

下に敷いた、濁流を泳ぐかのような勇壮な鯉の千代紙もいせ辰製。

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ブルー×レッドの思い切った色合わせが鮮やかで素敵です。
(あらら、写真の色が違っちゃいましたが、上の写真の色合いが正しいです。)

「鯉幟の組立錦絵」のほうは、「組立」というからには、はさみで切って、折り曲げて、ひれを点けて鯉のカタチのできあがり…とするべきですが、それは無理っ!

精巧な美しさに鋏を入れたり、折り曲げたりなどできるはずがありません。
このまま額に入れて飾り、今年の端午の節供のお飾りとします。

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◆今日は、2014年4月27日/旧暦3月28日/弥生戊辰の日