野菜の苗は、ひそかに花を咲かせていました/旧5/23・壬戌

野菜の苗が、花屋やホームセンターなどで売られ始めたのが5月。

路地を抜けると、こんな風にプランターが並んでいる光景も都会の風物詩。

200906菜園

地面を持っていなくたってやる気満々ですね。

久しぶりに同じ路地を通ったら…なんと!
植えられた野菜の苗もそろそろ花を咲かせています。

紫の花は、茄子の花。

200608茄子の華

この黄色いのは、たぶん胡瓜。

20060815きゅうりの華

そして、これは、ほかでも結構見かける、ミニトマトの花。

20060815トマト

夏の三大野菜がそろい踏みですよ!

すごいっ!

茄子も胡瓜も、トマトもスーパーに行けば、年中常連の野菜ですが、花の季節が今頃ならば、収穫は盛夏の頃がほんとは正しい。
そこを、便利にいつでもなんでもの現代人、旬も知らずにどうしてやろうか。
…なんで思っていたら、都会の旬知らずは今に始まったことではないようです。

旬知らずは、江戸人からのDNA?

ここにとりいだしたるは、江戸の戯作者・式亭三馬による滑稽本『浮世風呂』

江戸庶民たちが公衆風呂につかりながら、面白おかしく江戸の生活のあれこれを語るものですが、そこには、ハッとするこんな一文があります。

「イエサ、何なりとも四季に絶えず、さてまた、孔方(おあし)さえ出せばいつさい用を足す所ゆえ、お江戸に生まれた衆は豆がいつできるものやら、 芋は何時に実の入るものやら、旬を知りません。植えつけがいつごろで刈りどきがいつだという事もむちゃ助さ」

孔方(おあし)は、貨幣のことで、少なくともこの話が書かれた江戸時代後期には、お金を出しさえすれば、野菜や米は一応買えたということですね。
だから自ら栽培する機会もなくて、豆も芋もいつできるものやら知らずに過ごす。

もちろん「植え付け」=米の田植えがいつで、「刈どき」=稲刈りがいつかを言えといっても「むちゃ助さ」と。

すでに江戸の頃から、少なくとも市中に暮らす人は、豆や芋、穀物などがいつできるのか正確には知らずに過ごしていたようです。

そんな昔にちょっとびっくり!?
…な事実です。

といっても、江戸時代には、ハウス栽培もなければ自動車もない。
促成栽培などは幕府の禁止令の網をくぐって少し行われていたようですが、それでも夏野菜が冬登場するようなことありえない。

大八車や天秤棒を使って人力のみで野菜を運んで、「地産地消」があたりまえだし…。

で、よくよく落ち着いて『浮世風呂』を読み返せば、語られているのは豆・芋・米と保存の効く作物ばかりで、江戸人が旬を知らないといっても可愛いもの。

そこに茄子や胡瓜や、保存の効かない野菜の件には触れられていません。

江戸時代の江戸近郊は、江戸のブランド野菜の栽培が盛んだったとか。

たとえば、今の大田区あたりでつくられていた「馬込半白胡瓜」
茄子なら、西葛西あたりが産地の「寺島茄子」や、江東区界隈「砂村茄子」
あるいは、江戸近郊全般で栽培された「蔓細千成(つるほそせんなり)」、通称「江戸茄子」
…なんてのもあったようです。

江戸市中から、ちょっと離れて旅路をいけば、今の季節は、野菜畑に咲く、紫や黄色い花々。
たくさんそろって咲く、野菜の花は、観賞用の花に負けず劣らず美しかったでしょうね。

しかも、あとひとつきもすれば、夏野菜を楽しめるという大きなオマケがついてくる。
…って、花がおまけかな?

なあーんだ。
昨今のガーデニングブームの野菜栽培がけち臭く思えてきました。

ブームのおかげで、東京都心であっても、街中を歩いていると目の端はしにふと飛び込んでくる野菜栽培のプランター。
田舎で日々裏庭の畑を眺めて育った身としては、それが、ちょっと大げさぐらいな安心感だったのですが…。

まあまあ、都会の茄子も胡瓜も花はきれいに咲きましたから、よしとしますか。

◆今日は、2014年6月20日/旧暦5月23日/皐月壬戌の日/下弦の月