えーっと、やや唐突ですが、今日のおやつ。
駒込富士開山祭の「麦藁蛇」とともに、いただいてきた「麦落雁」です。
「麦藁蛇」をはじめとして、水神様の化身である「蛇」を意匠にしたお守りは、他の富士塚の開山祭でも見ることができます。
が、お菓子まで授与されるのは、駒込の富士神社だけじゃあないでしょうか!(勝手に自慢気)
もともと駒込富士の周辺は大麦の産地。
…って、今は住宅街になってみるかげもありませんが…。
「麦藁蛇」も「麦落雁」も、近隣の農家が我が家で収穫した大麦で落雁を作り、脱穀後の麦藁で蛇を編んで、開山祭の参詣人相手の露店で売り出したのがその最初だと、これは、駒込富士の開山祭で「麦藁蛇」をいただきながら、売り手の方にうかがいました。
富士塚が各所に作られ、富士信仰が盛んになった江戸時代後期は、貨幣経済が庶民にまで行渡り、お金を持つ商人がある種チカラを持っていた時代。
農家であっても、お金を稼ぐことは重要で、祭りの露店で稼いだお金は、貴重な現金収入だったのかもしれません。
しかし、『江戸東京の年中行事 (三弥井民俗選書)』(長沢利明著 三弥井書店)によれば、盛んに売られていたこの麦落雁も、戦後2~3軒の露天商が細々と売る程度のものになってしまい、それでは寂しいと駒込富士講社が地元の菓子屋に作ってもらうようになります。
やがて、そのお菓子屋も他の土地へ移ってしまい、今は、参道の露店ではなく、麦藁蛇と並んで神社の横で開山祭の三日のみに限って、講社の世話人が売るようになり今に至るのだそうです。
農家の現金収入のため露店で盛んに売られていた縁起物は、更なる貨幣経済の発展と庶民生活の変化によって消え、しかし、今度は神社や祭りの担い手によって、復活を遂げる。
「麦藁蛇」や「麦落雁」にかかわらず、祭り・縁日の縁起物の多くは、大概この道をたどっているようにも思え、しかし、けっして無くならない。
ある意味小さな奇跡のような存在にも思えます。
それら小さきものたちは、カミサマの依り代でもあって、大元の祭りや神社の存在が消えない限りは、こうして何度でもよみがえってくるものなのでしょうね。
小さなカミサマの依代をもちかえり、それに守られて過ごす日々
縁起物を、受ける側も、何か非常に大切なものを神社からいただいて帰る気持ちで家路について、そのまま1年部屋に飾る
…というよりいていただく感じ。
気はココロなのでしょうが、そういうものが似合う家に住めば、いつも何かに見守られているような落ち着いた気持ちにもなってくるから不思議です。
さて、この麦落雁、先の『江戸東京の年中行事』によれば、もともとは今より大きく丸い形をしていたそうです。
講社が依頼するようになってから富士のカタチになって、いつしか、その頂に砂糖で雪を被せるようなものになっていった。
でも、そこが非常にカワイイ!
原材料は、大麦粉と砂糖だけで作られた素朴なもので、しつこくない甘さが夏に売られる縁起物に似つかわしい菓子です。
炎天下の中を暑い暑いと家に帰って、麦茶と麦落雁で麦尽くしなどする。
なんだかほっとする味が嬉しい。
コーヒーにも意外に合って、一袋は500円だというのに、えーっというぐらい入ってきますが、友人におすそ分けしたりもして、ひと夏であっという間に無くなってしまいます。
一方、2色刷りの袋のほうは、やや粗末な刷りの感じが均一ではないのも面白く。
だから、時々取り出し眺めて楽しむために、毎年いただいているのに捨てられません。
すいぶんたくさん溜まってしまいましたが、また今年も1枚増えてしまいました。
◆今日は、2014年7月3日/旧暦6月7日/水無月乙亥の日
↓このブログの参考書のひとつ。ちょっと値が張りますが、東京の祭りや年中行事の由来を知るには最適な良書!