今日は、夏の土用入り。
暦の上では、立秋の日までもう少しですが、現世は、これから暑さが加速する夏です。
しかも、今年の関東地方は、まだ梅雨もあけず。
これからどれだけ暑くなるのか戦々恐々。
ああ、暑いのはいやです。
で、その暑さを祓えまいか…と、今年も「烏(からす)の団扇」をいただきに、はるばる府中の大國魂神社まで向かおうかどうしようか
…と朝から思案中。
↓これです。
まずは、最寄りの京王線府中駅から通りへ出たところを想像します。
さっそく目に入るのは、背高な欅並木。
それが、ずーっと向こうのほうまで続いて、涼しげな様子。
こんもり茂った欅の葉が太陽をさえぎり、さわさわと木々の間を風が通る。
木陰で涼を取りながら並木を抜けると、やがて立派な鳥居が見えてくるはずです。
この道は、111年創建と、とてつもなく長い間この地を守ってきた大國魂神社の表参道。
そして、今日、この神社では「李(すもも)祭」が開催中で、欅並木道の途中からは、李売りの露店がところ狭しと並び、すももの甘い香りがあたりに漂いはじめてきます。
大國魂神社の御祭神は大國魂大神(おおくにたまのおおかみ)です。
つまり…。
ここは、「古事記」や「日本書紀」などの神話世界の中でも相当に有名なオオクニヌシのミコトを祀る神社。
ですが、1900年以上も長々とこの地にいらしたり、武蔵国(現在の埼玉県、東京都・川崎市・横浜市の大部分)という広大な土地の総社という地位もあるもんだから、境内には、その他いろいろなカミサマのお社もあって、そうゆう意味でにぎやかな場所。
4月30日から5月6日にかけて行われる「くらやみ祭」が、1年のクライマックスですが、当然他のカミサマ方のお祭りも数多く、1年を通じ、なんだかんだと楽し忙しい場所でもあります。
なかでも「李(すもも)祭」は人気の祭りで、たった1日ということも手伝って、この暑いさなかというのに境内には参拝客があふれます。
それは、もちろん李(すもも)の市にならぶ、旨そうな李を目的にして…ということもあるでしょうが、やはり、今日しか授与されない縁起物「からす団扇」によるところが大きいのではないか。
「李(すもも)祭」にしか、いただけない縁起物は、写真の「烏(からす)団扇」…と「烏扇子」
どちらも黒地に白絵の具を吹きかけるようにして浮かんだ烏の絵がまず賢そうで可愛いらしい。
素材は昔からの竹にこだわり、意匠も黒地に大國魂神社のご朱印が効いていて美しいもの。
加えて、この団扇(か扇子)で扇げば、「農作物の害虫は駆除され五穀豊穣となり、病人は直ち平癒し、玄関先に飾ると魔を祓いその家に幸福が訪れる」(神社の由来書より)のだとかで、なんだかとってもご利益多数。
いってみれば、見かけも中味も申し分ない、非常に価値ある縁起物にして、7月20日の1日しかいただけない希少性。
何をさておいてもはるばる出かけてみたくなるというものですよね。
なぜカラスなのかしら?と由来を探せば
この「烏の団扇」の由来を、神社のサイトで探せば、「1200年前に書かれたとされる『古語拾遺』にあり」とか。
ふーむ。
古いお話のようですね。
『古語拾遺』は、平たく言えば、平安時代の神道の資料のひとつ。
その時代まで伝承されてきた「古事記」や「日本書紀」などの神話と祭祀にまつわる問題点を示し、その最後に御歳神(みとしがみ)の祭祀伝説を加えたという構成のものです。
「烏の団扇」の由来は、その御歳神の伝説によるもので、そのお話も同じく神社のサイトにあってこんな風です。
「神代の昔、大地主神が田植えをなさる時に、早乙女や田夫らを労うために牛肉をご馳走した。
ところが御歳神の御子がそれをご覧になって家に帰ってそのことを御父にお告げになった。
御歳神は、これをお聞きになり非常にご立腹なされて、田にイナゴを放ち、苗の葉をことごとく 喰い枯らせてしまった。
大地主神は大変に驚かれて、何か神の崇りであろうといって卜者を呼んで 占わせてみたところが<これは御歳神の崇りであるから宜しく白猪、白馬、白鶏を献じて お詫びするのがよろしい、されば怒りも解けるであろう>とお告げがあったので、その通りに したところお怒りが解けたばかりではなく、蝗の害を駆除する方法も、いろいろと教えて下された。
その方法の中に「烏扇をもって扇げ」と、お教えなさったのである」
つまり、烏の扇は、 御歳神が放ったイナゴを駆除するためのものだったわけですね。
大地主神は、大地の神。そして、大國魂神社のご祭神。
岩波文庫版『古語拾遺』 (岩波文庫 黄 35-1)によれば…。
「偉大なその土地の主(ぬし)たる神(=大地主神)、古事記の大穴牟遅(おおあなむじ)神や、日本書紀の大己貴(おおあなむち)命と類似するところのある神」
とあります。
この記紀の大穴牟遅(おおあなむじ)神とか大己貴(おおあなむち)命とかいう、カミサマ方は、どちらもオオクニヌシのミコトの別名。
つまり当時禁忌であった「牛肉の飲食」をして、御歳神を怒らせたのは、大國魂神社のご祭神ということになりますでしょうか。
一方、そして大地主神のやりように怒り、(人間世界からみれば)かなり乱暴なやり方で無理やり諭している御歳神さまとは、スサノヲとオオヤマツミの娘、カムイチヒメの間に生まれた大歳神(おおとしのかみ)の子神とされるカミサマで、ちょっとややこしいですが、正月になるとやってくるあのカミサマと同じ方です。
怒らせると、あんがい怖いカミサマなんですね。
そして、白猪・白馬・白鶏などを差し上げて素直にわびる大地主神に対し、御歳神はすぐに対策を伝授した。
「烏団扇であおげ」…と。
これが、この可愛らしくもご利益多彩な「からすの団扇」のルーツのようです。
つまり、カミサマの世界では、ひとつ蝗という厄災を祓う道具であったもののようですが、「からすの団扇」は、いつのまにか病まで祓い、五穀豊穣に加え、どさくさにまぎれて幸福までも運んでくる万能選手になってしまった。
ちょっと欲張りすぎというものじゃないかしら。
いいんですかね…。まあいいですか。
李(すもも)祭じたいの由来も少し。
それも神社のサイトにあたれば、時は、11世紀の平安時代後期。
「源頼義・義家父子が、奥州出兵の途中、大國魂神社のご祭神に李を供えて戦勝祈願し、無事、戦に勝って凱旋の帰途、御礼詣りをしたことを由来として起こった祭」
…とありました。
さらに、李市に貴重な木陰を用意する参道の欅並木も、この親子の苗の寄進によるものらしく、それがこんなに育って、計算すれば…ざっくり言って樹齢ほぼ1000年です。
いっけんして、ご神木の並木かしら(そんなのがあればですが)…などと思ってしまうぐらいの立派さですもの、ああ、やっぱりねぇ。
大國魂神社の創建は、約1900年前。
李祭りの始まりは不明ですが、その由来と欅の植樹は約1000年前。
そして、烏の団扇のルーツは神話の世界までさかのぼる。
なんだかすごいですね。
そうと知ったら、ますます「この烏」(の団扇)さえそばにいてくれれば、この酷暑すらもなんなく乗り越えられそう。
そんな気がしてくるというものです。
…ああ、そうやってご利益が増えていったんでしょうかね。
数十年後に、「暑さを祓う」なんてご利益が、ひそかに増えちゃってるかもしれませんね。
なにせ、「神代の烏」の団扇ですもの、そのぐらいは軽い軽いってものですよね。
◆今日は、2014年7月20日/旧暦6月24日/水無月壬辰の日/夏土用入り