同じもち米を炊いて握って、胡麻や餡子をまぶしたお彼岸の供物を、春の「牡丹餅」に対して秋には「お萩」と呼びかえるなんて、日本人でオツだよねぇ~。
とか言いながら、過ごしたお彼岸帰省を終えて、帰京。
秋日和に誘われて、家の近所をふらふら散歩していたら、いきなり萩満開でびっくり!
って、毎年、知っていながら同じシチュエーションでちょっと驚き、すごく嬉しい。
谷中の夕焼けだんだんの、段々を登らず正面に見て、右手の細い路地に入って、少しいった先にある谷中の宋林寺。
通称萩寺というだけあって、山門には萩がたっぷりです。
よーく見れば、白い萩!
珍しくないですか?
<萩の花、尾花、葛花…>と、山上憶良が詠った秋の七草では、萩が最初に来るのですが、実際には七草の最後、トリを飾る花のようです。
草かんむりに秋…という字の成り立ちから見ても、もう正真正銘秋にならねば私は咲かないとでも言っているような。
つまり萩の花の矜持といったところでしょうかね(笑)。
暑さ寒さの境目である彼岸も過ぎて、この花が見ごろとくれば、ああ、秋ですねぇ~♡
旧暦時代の人々は、秋の花は、立秋から数えて心待ちにした。
江戸人たちが、桜は立春から、藤を立夏から数えてその見ごろの目安としたように、秋の花・萩も立秋から数えてその盛りを楽しみにしていたようです。
さっそくいつもの江戸・東京の年中行事の参考書を紐解いてみましょう
・『東都歳時記 2 』(東洋文庫)(齋藤月岑 著)→立秋より30日目
・『絵本江戸風俗往来 』(東洋文庫 (50))(菊池貴一郎 著)→立秋より25~26日頃
・『江戸の歳事風俗誌』 (講談社学術文庫)(小野 武雄 著)→立秋より25~26日頃
…とあります。
2014年の立秋は、8月7日でしたから、9月2日~6日ぐらいが見ごろとなる計算。
しかし、やはり昔より夏の気配が去るのが遅いのか、その頃の萩の名所といったらこんな風です。
いつもの向島百花園の萩のトンネル。
お月見の会の時(9月8日)の様子ですが、まだ葉っぱの方が目立ってますね。
例年そうなのですが、今年も見ごろはやっと9月下旬のいまぐらいからのようです。
その日も、近くで見れば咲いていたんですがねぇ…。
もっと近いと、この花って面白いカタチ!
とか、花の超至近距離に寄って楽しむ感じでした。
…ってことで、そろそろ百花園の萩トンネルをくぐりに出かけていかなくちゃです。
他の萩の名所を江戸人に聞く
さて、上記の江戸東京の参考書には、当時の萩の名所も羅列してあって、そちらは、現代にも存在する場所ばかり。
せっかくなので、これから足を運べそうな場所をぬきだしてみました。
まずは、「亀戸竜眼寺」。
いづれの書も、この場所の解説に文字数を割き、当時、「萩寺」という名のほうが有名だったぐらいの名所だったと書かれています。
ただし、当時、そこから川舟を使えば、ちかくに遊郭吉原があり、男たちの萩見物はその口実に使われたとか…。
ほかには、「亀戸天満宮」、「三囲社(現・三囲神社)」、「秋葉社前池辺(現・秋葉神社)」「百花園」。
さらに、当時は一般には公開されていなかったけれど「お浜御殿(浜離宮)」には日本国中の名所の萩が植えられていたんだそうです。
ふーむ。
それでは、今でも萩が咲いているのはどこかな?
調べましたら以下の場所なら、現代でも萩を楽しめそうです。
・「亀戸竜眼寺」→押上の緑豊かなお寺がキャッチフレーズ。萩も健在のようです→公式サイト
・「浜離宮」→公式なサイトでは、コスモスと彼岸花の情報ばかりですが、個人のブログをいろいろ見れば今も見事に大株の萩が花を咲かせているようです。
・「百花園」→ここの萩のトンネルは、眺めるに値することを保証いたします。→萩祭り開催中・平成26年9月13日(土)~10月5日(日)
ちなみに、萩は、七「草」といいながらも実は落葉低木。
しかし「木」であるくせに花が終わると地面の上はあらかた枯れてその痕跡を消してしまいます。
百花園の萩トンネルも冬から春はただの竹で組んだものでしかなく…。
毎年、春に新しく芽が出て、初夏の頃にやっとこんな風に育ち始める。
それが、毎秋、こんもり葉っぱと花をつけるんですから、スゴイですよね。
野辺や寺社の境内に咲く萩も同様に、その季節になって急にそこに登場してきたかのように姿をあらわし、やはり「ああ、いつのまにか…」と足をとめてしばし見とれる。
萩は、秋になるとひょいと顔出す旅人のよう。
毎年その花のころの長さだけ少し夢中になるのは、そんな自然の演出によってかもし出される懐かしさのせいでしょうか。
◆今日は、2014年9月25日/旧暦9月2日/長月己亥の日
◆日の出 5時31分 日の入17時34分/月の出6時11分 月の入17時59分