仏教界の守護神に摩利支天さんという方がいらっしゃり…。
そのカミサマには、十二支の亥が仕え、それが由来で亥の日が縁日。
そして、今日、11月の初亥の日は、少し特別。
「ゐのこ祭」の法要が執り行われます。
東京方面から京浜東北線に乗り、ぼんやり車窓を眺めていると、御徒町駅を過ぎた辺りにのアメ横方面に、突然現れる朱塗りのお堂。
それを囲んで、幟もたくさんたっているので、この路線で行き来する方ならば、「ああアソコね」と、ご存知の光景かもしれません。
その、にぎやかな横丁のど真ん中に、東京の摩利支天(まりしてん)さんはいらっしゃる。
摩利支天さんがいらっしゃるのは、徳大寺。
御徒町で下車し、一度お参りしてみようかと、徳大寺を訪ねてみれば、ともかくこの寺、立地の仕方が非常に珍しい。
寺の敷地は地下と地上2階のビル。
地上1階以下は、フルーツショップとか袋菓子のデスカウントショップ風とか、喫茶店とか、もうすっかりアメ横の風景。
肝心の寺は、その建物の屋上に建っているという具合。
しばし、唖然と、たたずんでいれば、あたりに市場特有の掛け声が響き、それが、ふと、寺の縁日の露天のよう。
提灯に灯がともれば、ココは、毎日が縁日のお寺?
と思ってしまう賑わいが楽しいところでもあります。
徳大寺は、日蓮宗のお寺ですが、ご本尊は、摩利支天(まりしてん)さんといって、もともとは、陽光を神格化したインドの民間信仰の神様で、のちに仏教の守護神となり、仏教の寺で信仰されるようになった方。
で、下の写真の、徳大寺の文字の横に、猪に乗って左手を上げているのが、その神様のお姿です。
民間信仰の対象にされていたころからずーっと、戦いに強い神様、軍神ともされていて、なるほど、見るからに勇ましい。
ちなみに、この方のもたらす御利益はご利益の王道が3つ。
厄除け、開運、招福。
これらを、お強そうな摩利支天さんに授けていただいたとなれば、鬼に金棒な感があります。
加えて、本日は、終日つづくご祈祷。
本堂は、非常に勇壮な感じが漂っておりまして、その片隅におじゃましているだけでも、ふつふつと沸きあがってくる高揚感。
なんだか、これから何でもやってやるぞという気分にすらなって来るから不思議です。
ところで、この摩利支天さんのお姿。
実は、聖徳太子の作!
…との言い伝えがある徳大寺のご本尊像は、普段、厨子の扉がしっかり閉じられ見ることはできません。
しかし、お札はもちろん、境内のあちこちに描かれた姿で、拝見することは可能。
上の写真を切り抜き拡大(写真をクリックしてください。少し大きくなります)してみまして…。
それをしばしジーッと拝ませていただいてるうち、ふと、どこかでお会いしたことがあるような気がする不思議。
はて、戦いのカミサマにご縁なんかなかったと思うのですが、なぜでしょう?
たとえば、摩利支天さんのお召し物。
よくよく見れば、子ども時代にご近所のおばちゃんが着ていた夏のアッパッパ(古語?)みたい。
とくれば、「おおっ、そういえば、下町の駄菓子やあたりにいる、おばあちゃんに似てるかも!」と膝を打つ。
いや、調子に乗ってすみません。
でもでも、店の隅っこで、粉っぽいお好み焼き焼いてくれたり、
説教されながらラムネ飲んだり、
ときどき喧嘩の仲裁に入る、不振人物は追い払ってくれる。
駄菓子やのおばあちゃんをはじめ、似たような姿のおばさん&おばあさんたちは昔、どんな町にも必ずいらして、その界隈ではかなり頼りになる方々だった。
少なくともその町内では、陰日なたに子どもたちをしっかり守ってくれてたかと。
なるほど、戦いに強いカミサマ、軍神…そして守護神ねぇ。
…いや、罰当たりですかねこんな風な言い方って。
それでも、そんなこんなで、このカミサマに不思議な親近感というか。
つまり、会ったその日からなんとなく好きになっていく感じです。
そして、今日の「ゐのこ祭」。
西日本や農村地帯では、旧暦10月(亥月)亥の日に亥の子餅などで祝われるもの。
実は、東日本の、しかも都会では珍しい…ちょっと趣きは違いますが…亥月亥の日の行事でもあります。
…っていっても、今年は閏月が入って、まだ旧暦では、閏9月なんですけどねぇ。
まあいいんですけど、そんなこと。
◆今日は、2014年11月12日/旧暦 閏9月20日/長月丁亥の日
◆日の出 6時13分 日の入16時37分/ 20番目の月・「更待月(ふけまちづき)」の出21時21分 入10時33分