「越後屋お前も悪よのぉ」
「お代官さまこそ…」
…と、毎年、授与所に飾られるコレを眺めるたびに、よこしまな台詞のやり取りが脳裏を走ってしまいます。
日ごろ大きなお金を見ない貧しさのせいか、それとも単なる罰当たりなだけなのか。
どちらにしても、毎年毎年凝りもせずココロの中でこんなせりふをつぶやいてもしまう。
毎月18日は観音さまのご縁日。12月は1年の締めなので…
特に師走のそれは、一年の締めくくりの意味を込め「納めの観音」といわれます。
併せて羽子板市が立つという事情もあって、いつも人出の多い境内は、さらに多くの参拝者で大混雑!
いゃあ、徒歩でも、直進するのが難しいくうらい。
がっ、これでも、初もうでの時よりはずーっと空いているんですってよ。
地元の方が、言ってました。
「納めの観音」にお参りしたら、羽子板以上にちょっと忘れず眺めたいのが小判の山
って、それが上の写真ですが、境内のあちこちにふつうに飾っておかれてあります。
で、これは、12月17日から年末にかけて期間限定で授与される浅草寺の縁起物。
切り餅と言われた金の小判の包みに赤で描かれた大黒さまの福福しい笑顔。
いかにも縁起がよさそうな意匠を選んで、その名もストレートに「縁起小判」と申します。
手に取れば、けっこうずっしりと重く切り餅と呼ばれた本物の小判の包みってこんな感じだったのかしら?
…などとも思わせる、カタチも重さも豪華な小判風ですが、授与いただくにはひとつ300円。
かなりリーズナブルで、さらに、御利益は「新年の福徳」とバリューもばっちりな感じです。
これは、家の神棚などに飾って拝み、1年たっても、お焚き上げの必要などはないそうで、ひとつから、はじめて毎年少しずつためてゆくものなのだそうです。
ふーんそうなんだ。
少しずつ「福」を貯め、「徳」も積んでいきなさいということですね。
この御利益の意味を、よーく考えてみるとかなりな深さ。
仮に「福」だけならぼんやり喜ぶとしても、そこに「徳」とつけられるとやや意味合いが変わってくるような。
「福」は、運がよければ勝手にやって来てくれそうにも思いますが、「徳」は自ら積むものです。
なので、「福&徳」となれば、近くから大黒さまの小判に見守られつつ、毎日自ら努力せよってのが正しいところなんでしょうね。
で、今年で3年目。
私の「福&徳」。
すこしは、積んでくることができたでしょうか。
ちなみに、どんなお守りも、ずっと前からそうゆうスタンスでいらっしゃる。
…というのが、私の個人的見解。
お守りがあればオッケーの他力本願ってわけじゃなく、「私をきっかけとして、努力してね」というもの…だと思う。
これは、今年このようなブログを書いてみようかと思ったことをきっかけに、ずいぶん多くの縁日と縁起物のことを知り、そこで、学んだひとつの真実とでもいいましょうか。
いや、まだ、ややかすかな確信。
…なのではありますが、きっとたぶんそうゆうことではないかと思うのです。
◆今日は、2014年12月18日/旧暦10月27日/神無月癸亥の日
◆日の出 6時45分 日の入16時30分/月の出 2時28分 月の入13時39分