西早稲田の馬場下にある穴八幡宮。
多くの街の神社がそうであるように普段はひっそり、狭い石段をあがると広い境内が広がり、冬の陽射しを受けてうらうらと暖かい。
奥に鎮座するお社も美しく、ともかく居心地の良い場所でもあります。
それが、昨日「冬至の日」には、一変。
石段から境内にかけてはぎっしり露店が立ち並び、その狭い通路を大勢の人が行きかっている。
…というより、列を成しております。
その混雑振りといったら、たとえば、まずはカミサマにお参りしようと思っても、まずは、鳥居の外に延びた列の最後に並ばなければならず。
やーっと、境内に入ったと思えば、本殿前に向かってヒトの列がとぐろを巻いた蛇のごとく!
拝殿は、まだまだ遥か向こうといった具合。
そこに行き着くまでにはそうとう時間が掛かるだろうなと覚悟するしかありません。
その原因はコレ
穴八幡宮から授与される御守りを授与いただくために集まった人々の群れだったのでした。
「一陽来復守」は、冬至の日からあけて節分の日までしかいただけず。
加えて、早く入手すればするほど縁起が良い。
とも言われ、聞けば、冬至の日の早朝。
5時授与開始の時刻をめざし、まだ暗いうちから長い列ができるんだそうです。
「一陽来復守」とはこのようなもの
お祓いをすませた金柑と銀杏各1個をずつを円筒形の紙に包み、表に毛筆で「一陽来復」と書かれただけの、そのシンプルな意匠がかえってステキ。
それが、江戸の天保年間(1830年~1843年) からずっと同じカタチで続いてきた由緒ある御守りです。
金柑と銀杏=金
銀=財宝
という見立てで、さらに冬至につき物の柚子(ゆず)をかける。
と、ご利益は、財宝に融通(ゆうずう)がつく..となります。
またも、江戸人得意の言葉遊びです。
そんなこんなで、金運上昇・商売繁盛・開運招福…とご利益はたっぷり。
しかも「ほんとによく効く、穴八幡の御守はほんとにすごい!」とは、この御守りを毎年欠かさずいただいている友人の弁で、その霊験あらたかぶりは、それを入手しようとする人々の列の長さが証明しているのかもしれません。
お祀りする作法がかなーり難しい。
・お祀りできる日は、冬至・大晦日・節分の日だけ。
・そのいづれかの日の午前0時ぴったりにその年の恵方=歳神様の所在する方角に文字が向くよう、反対側の柱に貼る
…とやや緊張が要る。
冬至の日にせっかく苦労して御守りをいただいたとしても、帰りにちょっと一杯ひっかけ⇒忘れる
大晦日も、師走の疲れや紅白歌合戦から初もうでの流れで午前0時をすっかり忘れる
ああ、チャンスは、あとは節分の日だけかぁ。
大丈夫かなぁ…。
…などなどを乗り越えて、さらには方向まちがいもせずに、首尾よく歳神様の目に付くように柱にお祀りせねばなりません。
ふーっ。
多くのご利益をいただくのはそう簡単にはいかず、やはりそれなりのことをしなければならないようです。
しかし、明かりもあって方位も簡単に計れる現代ならばいざしらず。
江戸人たちにとっては、かなり難しい作業だったのではないでしょうか。
ちなみに、平成27年の恵方は、西南西で庚(かのえ)の方角。
西南西とは、ほとんど西に近い側。
詳しくは、授与いただいたお守りと一緒に詳しい説明書が付いてきますのでそれをごらんください。
ところで、「一陽来復」とは良い言葉です。
冬が去れば春が来るように、日々の状態も、必ず陰から陽に転じてゆく。
辛く厳しいことが続いたとしても、いつしかそれは底を打ち、幸運が向いてくるという意味。
冬至を境に日照時間が少しずつ長くなり太陽のチカラが復活する。
…そんな自然現象から賢く学んだ古人が作って、現代まで繋がれてきた。
そんな尊い言葉でもあって、お守り云々はともかく、私はこのコトバ自体が大好きです。
◆今日は、2014年12月23日/旧暦11月2日/霜月戊辰の日
◆日の出 6時47分 日の入16時32分/月の出 7時24分 月の入18時00