作家の命日に「◎☆忌」と、その方の冥福を祈ったりするのが一般的。
だけど、私としては、好きな作品を生み出してくれた作家がこの世に生を受けたことに感謝したい。
ということで…。
重要なのは逝った日ではなくて、誕生日。
その記念すべき日には、そのヒトの作品の中から1作選んで持ち歩く。
電車で移動中に少し読み。
カフェやランチで入った店で読み。
読み切れなかったら半身浴しつつ。
そして寝床に入っても。
…と、1日その物語と一緒に過ごしてみる。
好きな作家はけっこうたくさんいて、実は、全員こんなことをやっていたらきりがない。
だから、こんな特別は、もう亡くなって、新しい作品がこの世に生み出されない作家限定。
毎年1回1冊読むというルールにすれば、新作がでなくても、その作家をどう好きだったか忘れないでしょ?
…そんな理由。
でも、この作家だけは別なんだなぁ…。
1928年生まれの佐藤さとるさんは、元気に生きて今日で87歳
70歳になった年に「書きたいことはすべて書いた」と引退を宣言した。
…という話を聞いて、ファン読者としては、「ああ、もう新作はでないのかぁ」という軽い喪失感。
で、さっそく、「誕生日を祝う読書」作家リストに入れてしまったのでした。
ということで、なんと、本日紐解き17回目のコロボックル物語シリーズ1『だれもしらない小さな国』です。
…いや、小学校の図書館で初めて読了した日を数にいれれば18回目。
実を言えば、他の作家は、こんなブログを書く前は、3年とばしとか、ひどい時は5年とばしとかで、いうほど真面目に取り組んでいず(笑)。
こんな毎年しつこく読み連ねているのは、この作家だけかもしれないなぁ。
今の興味関心のほとんどすべてはこの物語から始まっている
..かも。
舞台は、こんな小さな隠れ家のような場所。
そこから始まる、わくわくする広くて深い物語。
図書館とか、街の書店とか、ともかく本だらけの場所。
そうゆうところが、めっぽう価値ある場所だと思った小学生時代。
それからずっと、この感覚はぶれるコトなく年をとった。
とすれば、きっかけは、この『コロボックル物語』だと思う。
そして、長い物語を読み切る面白さを教えてくれたのもこの物語。
「科学的に証明できるものが価値あるもの」
…と、モノの評価基準が極端にバランスを欠いてゆく高度経済成長時代。
そもそも、そんな時代に育った子どもが、なぜか科学で説明できないものに惹かれる大人になったのだって、この本のせいかもな。
迷信とか、神さま仏さまとか。
そこに、妖怪とか、怪獣とかまで含めれば、たぶん、私以外の多くの高度経済成長時代のこどもたちのココロを、似たようなファンタジーが耕しただろうことは、否定の余地はありません。
『だれも知らない小さな国』が、
佐藤さとるさんの「コロボックル物語」の入口の話。
そこから、シリーズは続き、スピンアウト物語なども。
見えないけどそこにある、この世界の持つ懐の深さや奥行きみたいなものを、この作家は縦横無尽に紡ぎだしてゆきます。
その物語を追って、もう何十年…になるかぁ…。
なのに、再読すれば、毎回、違ったカタチでココロに水を与え、必要な肥料をすきこんでくれる。
すごいなぁ。
佐藤さとるさん、お誕生日おめでとうございます。
そして、もっとずっと長生きを。
今年は、書棚にもう一冊、
いままでの「コロボックル物語」シリーズに所収されていない短編集が出ていたみたいですので、さっそく購入いたしました。
◆今日は、2015年2月13日/旧暦12月25日/師走庚申の日
◆日の出 6時31分 日の入17時20分/月の出 0時55分 月の入11時34分
↓新しいのは装幀もより可愛いなぁ。買い替えようかなぁ。
◎昨年レビューもしてたんでリンクしときます⇒コロボックルの物語を再読