今日は、お寺の盂蘭盆会2015。毎年、同じことの繰り返しですが、そこに意味を感じる一日です/8/14=旧7/1・壬戌

東北の盂蘭盆会は、月遅れの8月中旬。

昨夜、迎え火を焚いたので、ご先祖様がたは迷わず、もういらっしゃっているはず。
そして、今日は、寺に檀家があつまりお盆の法要です。

これは、父が亡くなってから、欠かすことのできない大切な行事。
…というより、「大切な習慣」のように思っています。

鐘や木魚などの鳴り物もスタンバイオッケー!

木魚など

そろそろ、始まりです。

しかし、いつ見てもこの木魚は立派っ!

木魚

大きな木の幹をくりぬいて作られたらしく、かなりな大きさなのに、継ぎ目はいっさいありません。

もちろん、今年も、こっそり、デジカメに納めさせていただきました。
なんだかここにくるたび、この木魚の写真を撮らせていただいてるみたい(笑)。

大きく開けられた本堂の南側には…

今年もカラフルな幟状のしつらえが風に吹かれてゆれています。

寺のお盆のしつらい

ご先祖様方は、この旗を目印に、南側から本堂にやってきて、一緒に法要に参加なさるのだとか。

これは、この寺のご住職から聞いた話。

法要につきものの、住職の説法も非常に興味深い

ご住職は、とても話の上手な方で、お経をあげていただき、焼香をして、最後のそのお話が、実は、ひそかな楽しみでもある。

今年はどんなお話なんだろうな?

実は、今の住職は、今年で引退なさるそうで、住職の座は、次の世代に譲る。

つまり、今年の盂蘭盆会の説法で最後かも?
…と思えば、いつも以上に真剣にうかがわなければ…などとも思います。

2011年の盂蘭盆会から、説法では、必ず、東日本大震災のことに触れるようになった

あれから、何年かたって、触れられるのは、ほんの少しになったけど、今年もそれは必ずと思う。

この街の僧侶たちは、ボランティアで火葬場へゆき、おびただしい数のお見送りの供養をした。
我が寺の住職もそのひとり。

2011年に淡々と語られた話に、私自身は少なからず衝撃を受けた。

「日がな一日、ご遺体を見送る方は、たった二人。霊柩車の運転手さんと、市の職員だけ…。身元がわかりませんからね」
その様子を想像して、ココロが苦しくなった。

そして…。
「身元不明者の身内を持つ方々の多くが、悩み悩んで、お盆の直前になって死亡通知をだしたのだそうです」と続き「つまり、もしも逝ってしまったなら、帰ってくるところがないとかわいそう…ということです。」
…には、今思い出しても胸が詰まる。

お盆は、亡くなったひとたちが帰ってくる日。

どこかでそう信じているから混んだ新幹線も我慢して、日本人は民族大移動をする。
これは、日本人らしい信仰のカタチなんだろうか?

この世を去るのは悲しいことかもしれないが、それでも、きちんと送られたヒトは、またこの世に戻ってこられるし、あの世で守ってもくれるだろうからと作法をまもりお見送りをする。

お盆の供養もそれと同じで、帰ってくるなら、きちんとお迎えをする。

仏教の行事は、あの世とこの世を細々とでもつなぐ作法みたいなものだなと…ふと思うのも毎年のこと。

我がご先祖さまたち。
そして、海に持って行かれた方々も。

お帰りなさい。

しばし、現世でゆっくりしていらしてください。

◆今日は、2015年8月14日/旧暦7月1日/文月壬戌の日/新月!
◆日の出4時58分 日の入18時33分/月の出4時27分 月の入18時04分