正月最初の18日は、初観音。
…と聞くと、なんだかココロが騒めきはじめるのは、正月早々にやってくる物の怪の気配のせい?
初観音の夕暮れ時。
日が落ちれば、閉ざされる本堂の扉も今日は明けられたまま、参拝者も三々五々そこに集まってきて人待ち顔です。
私も、寺紋を背負った法被のいなせな方々などを眺めつつ…。
(って、これ法被というより、コート風なんですが、なかなか素敵なデザインです)
待ちます。
待ち人たちのまえに、やって来るのは…鬼!?
江戸東京の観音さまである浅草寺では、初観音をめざして、一週間前から特別な法要が行われております。
その名も「温座秘法陀羅尼会(おんざひほうだらにえ)」。
浅草寺のパンフレットによれば…。
・1月12日午前6時から18日の午後6時まで、延々7日間、昼夜不断に経を読み修法に励む密教の大法要
・秘法のために本堂の一画に幔幕を張り結界を作った中で行われる。
・僧の一座の修法が終われば、すぐ次の僧が交替に登壇。
・そのスタイルで修法が168座も続く
という、かなり厳しい法要みたい。
僧たちが順繰りにやってきて法要を行うので、寒い本堂の台座であっても冷えるひまなし。
だから「温座…」と称すのだとか…いや、寒いって、もう俗にまみれた私などはやせ我慢で「温座」と言っているようにしか思えません。
そして、今日18日の夕刻は、長い法要も大団円
⇒クライマックスは「亡者送り」。
その主人公が鬼…なのです。
さて、日没後の浅草寺
灯りが突然すべて落とされて暗闇になります!
となれば、そろそろ彼らがやってくる。
参詣者たちは息を潜めてじっと待ちます。
あっ!きましたっ!
鬼ですっ!
鬼が観音堂内から、松明を持って登場。
さあっ、ここからはもうのんびりしてはおられません。
鬼は、そのまま本堂の大階段を下り、大香炉を周り、宝蔵門を周り、
うおぉ~!うおぉ~!と叫びつつ、疾風のように境内を走りぬけます。
その恐ろしきモノなぜか追う、参詣者。
だってさぁ、皆カメラを構えてますもん(もちろん私も)、怖がってる暇なしの、みな今年も鬼を追うパパラッチさながら(笑)。
…なんですよねぇ。
恐ろしき者をわざわざ追っかけちゃうって、やや滑稽な展開に。
しかし、カメラがない時代から、「亡者送り」ではヒトが鬼を追っかけたみたい。
というのも…
松明の燃えがらが、火除け、厄除けのお守りになるとの言い伝えあり!
ってコトで、追う人々はも、箸をもって、それですかさず燃え殻をひろう。
こっちは、この行事発祥の江戸時代からそうみたい。
そして、平成の世でも、割り箸で燃え殻ひろう方はけっこうたくさんいらっしゃいます。
そして、鬼はといえば…。
境内を走り抜けたのちは、本堂の西に位置する銭塚地蔵堂脇へと。
そこにほった大穴があり、鬼は、魑魅魍魎や餓鬼に対する「供物」を投入。
そして、最後に、松明も投げ入れ行事は終了。
これで、一年間の「天下泰平、五穀豊穣、玉体安穏、万民豊楽」を祈願する長ーい法要「温座秘法陀羅尼会(おんざひほうだらにえ)」が無事完結です。
「亡者送り」は、施餓鬼作法にのっとった悪霊を鎮める行事
施餓鬼とは、無縁仏ゆえに餓鬼道に落ちてしまった亡者への供養。そして、この行事は、もう少し先の節分に先駆け悪疫邪気を祓う、浅草寺の追儺の儀式の位置づけもあります。
つまり、浅草寺では、早々にこうして春を迎える。
これが、18世紀初頭の江戸時代から絶えずに続いた行事というのも驚きですが、実際、動的な行事って面白い。
浅草寺は、こんな風に、信仰に庶民を参加させるのがうまいから、こんだけ長くつづいたのかしら?
…なんて、ややうがったことを考えたりして、
しかし、毎年足を運んではいるけれど、我が写真の腕まえはさっぱり上がらず。
今年も、鬼をまったくパパラッチできてません。
もう、これは、ぜひぜひ皆さま生でご覧になっていただきたく。
本日、夕刻、東・東京にいるなら、日暮れたあとの、浅草初観音&亡者送りは必須かと!
◆今日は、2016年1月18日/旧暦12月9日/師走己亥/冬土用入
◆日の出6時49分 日の入16時53分/月の出12時05分 月の入0時41分