最初『一日が長いと感じられる日が、時々でもあるといい』というタイトルに惹かれて手に取って、この時期、ここ数年の日記本を読む意味を知る。

小沼理著『一日が長いと感じられる日が、時々でもあるといい』を読了。

まず、書店の棚で惹かれたのはこのタイトルだ。

コロナ禍の中、閉塞感を感じつつ、ただ淡々と過ごす日々は、思った以上にあっという間に過ぎ去ってゆく。
なのに、コロナ禍じたいは、いつまでも去らない矛盾。
だから、どんよりとした閉塞感だけがうんざりするほど長く続き、気づけば、無益な日々が3年もたっていた。

「一日が長いと感じられる日」があるとすれば、それは「今日は充実した良い一日だったなぁと感じられる日」だ。
この本のタイトルを眺めつつ、そんな風に思ったら、それだけでちょっとココロが晴れた。

一日が長いと感じられる

だから、離れがたくなって手に取って、さっそく読む。

本書はコロナ禍が始まった2020年から、2022年8月までの日記集

この表紙のイメージどおり、ベーシックには穏やかな日々が綴られている。
しかし、その日々に、コロナ禍と、後手後手に回る政府の対策。
時々、愚策によって、不安や怒り、心配を生じること暇ない。

それでも、明日はよくなるだろうかとかすかな希望をよすがとしつつも、日々は、どんどん良くない方向へ。

確かに、この3年間。

新しい感染症に右往左往する2020年から始まって、2021年は、緊急事態宣言下での東京オリンピックの強行。
多様性をテーマにしつつも、ただただ上滑りするだけのその祭典が終わったら、一息できるか。
…と期待したら、翌年2020年冬には、大きな戦争が始まってしまった。
さらに、夏。
信じられないことに、選挙戦の最中に元首相が銃撃される事件。

そして、そのいずれに対しても、誰もがいまだちゃんと乗り越えることができず、なにか不穏な影響が波及していたりする。

そんな日々にあっても、著者は、ありきたりの考えに流されることなく、じっと自身の内なるココロをのぞき込む。
そして、いちばん適したコトバを丁寧に探して綴る。

日記ということもあるのだろうが、著者は、どんなことも断定的に記述せず、ことさらにあれこれと思考する過程がいい。

同じ日々を送った読者は、読み進むうち、いつしか、自分もその日に立ち返り、あれは自分にとってどんな日々だったかを追体験&追思考。
あれこれと浮かぶ記憶を丁寧に眺め、今、いかにこの作業が自分に重要だったかに思い至る。

「日記」のチカラって、思った以上にすごいんですね。

食べる、愉しむとともに描かれている日記だからこそ感じられる時代の空気。

本書では、日常の暮らしぶりが丁寧に書かれているというのも魅力。
何を作って食べたとか、見た映画の紹介や読んだ本の紹介。
ライターの仕事の様子。
一緒に暮らす恋人との穏やかな関わり方とか。

そして、日々のニュースは、その延長線上に描かれる。
だからこそ、読者は、その日々への寄り添いが可能になったりもするんだなぁ。

同じ時期を生きた他者による「日記」の存在はとても重要。

本書を読了したのちに、書店に出向いて、書棚に「コロナ禍の日記」を探す自分がいたりする。
ホントは、小沼さんの日記の続きが読みたいんだけどね。

↓コロナ禍の日記でおすすめは?と問われたら、間違いなく一押しの一冊。
小沼理著『1日が長いと感じられる日が、時々でもあるといい』タバブックス