季節を「立」てて、「分」けて、「至」る…暦の「四立」と「二至二分」と「八節」のコト。

二十四節気のなかでも、特別な八つの季節「八節」

二十四節気で、春夏秋冬の言葉を使うのは…。

・始まりの意を持つ「立」を持った「立春」、「立夏」、「立秋」、「立冬」。
・境目である「分」の字を持つ「春分」、「秋分」。
・「ゆきついてその先がない」意の「至」の字を持つ「夏至」と「冬至」。

以上の合計八つ。

小石川植物園の桜並木

暦ワールドでは…。

・四つの「立」を「四立(しりゅう)」
・冬至・夏至・春分・秋分は、そのまま「二至二分(にしにぶん)」と言います。

そして、この八つの季節を特別に「八節(はっせつ)」と呼ぶ。

美しい言葉で構成されるものだから、時々、暦という道具であることを忘れる二十四節気。
そこを、この「八節」がおのおの季節の要となって、美しい言葉ながらも暦としての性格をきちんと成り立たせています。

こうゆうところが、数字だけでカウントされたカレンダーに対して、古い暦の興味深いところです。

「四立」と「二至二分」の違いは歴然

同じ「八節」の仲間でも「四立」と「二至二分」はその特徴に雲泥の差があるがまず面白いところ。

「二至二分」の日には、他の「二十四節気」の日にはない一目瞭然の自然現象が存在していますね。

小石川植物園の桜並木

たとえば…。
「冬至」は、太陽がもっとも南から昇り、昼がいちばん短い日。
「夏至」は、太陽がもっとも北から昇り、昼がいちばん長い日です。

「春分」「秋分」のどちらも、太陽が真東から上り真西に沈み、昼夜の長さが同じ日だと、私達は常識として知っています。

「二至二分」の日には、もうその言葉に似合った気候。
…というより、春夏秋冬それぞれの季節の真っ只中です。

「四立」には、際立った季節の変化はありません。

「立」の日=始まりの日は、「二至二分」の日それぞれの中間点に位置するのみ。

冬至⇒立春⇒春分⇒立夏⇒夏至⇒立秋⇒秋分⇒立冬…でまた冬至。
ほらねっ(^.^)。

小石川植物園の桜並木

「二至二分」が自然のサインをキャッチして定めたものであるのに対し、「四立」は、「至」と「分」の両方から等分に離れた場所に配置され、何も起こってないのに、ヒトがそこに決めた感じ濃厚です。

立春・立夏・立秋・立冬の「四立」の日は、まだその季節の気配もないことが珍しくない。
しかし、そういう日こそ始まりの日にふさわしいという、暦を創った人々のこだわりみたいなものを感じたりします。

実際、日々の暮らしの中でも、その日を通り過ぎてしばらくたって、確かにあの日あたりから徐々に季節は変わってきたなと振り返ることが、けっこう多いような気がします。

こうしてみれば、古風な暦も、俄然、理にかなった成り立ちを見せ、美しい上に道具としても聡い。
うーむ、やはり昔からある知識というのは侮れません。