本日の365日の暦日記コーナーに書かせていただきました老舗豊島屋「白酒」。
…の付録。
実は、何を隠そう、小さな声で言うけど、私にとっては白酒そのものよりもこの「江戸名所図会」と…。
その裏面「白酒売り出しの口上」
これを目当てにこれを購入しているきらいがあって、もうそれはそれは、食玩好きおやじのごとくなんであります。
山なれば富士、白酒なれば豊島屋
さて、雛祭りの準備でやや華やいだ江戸市中。
もちろん、「白酒」も、その重要アイテムでありました。
そこで、絶大な人気を誇っていたのが、当時、鎌倉河岸(現在の千代田区内神田二丁目あたり)にあった酒屋兼一杯飲み屋の酒商「豊島屋」の白酒。
「山なれば富士、白酒なれば豊島屋」といわれたほどの大人気。
毎年2月25日ごろが売り出しで、その日には、白酒を求める客が店に殺到、混雑振りは相当なものだった伝えられています。
時の様子を語る資料も豊富
「江戸の歳事風俗誌」(小野武雄著 展望社)によれば、「店の広い間口は、竹矢来で囲われ、客は一方の入り口で切手を買って中へ入り、白酒と引き換えて他方の出口から帰るという手順。それでもけが人が出たのであらかじめ医者を雇って出張させておいた」ぐらいの繁盛雑踏ぶり。
同じ様子は、天保七年(1836)、長谷川雪旦による江戸名所図会「鎌倉町 豊島屋酒店白酒を商ふ図」(これが現代の豊島屋製白酒の付録・上の写真ですっ!)にも描かれ、そこにも、その繁盛ぶりが鮮明に描かれています。
さっそく図を眺めてみましょう
確かに竹矢来で覆われた店の前には、桶を抱えた人々…というより群集。
我先にといった感じで店入り口に向かいますが、その混雑でかえってなかなか店内に入れず、人々は店先に溢れかえっています。
その入り口上部に櫓が建てられ、そこにいるのが、人々の怪我に備えるために雇った医師と鳶職人でしょうか。
けが人などが出たら、この櫓に避難させて対処した…ということだったのかもしれません。
店のまん前に建てられた大看板に大書きされた「酒醤油相休申候」の文字が印象的です。
白酒を商うのに精一杯で、この日のみ、いつもの酒、醤油は販売休止だったようです。
その人気の白酒とはどんなものか。
作り方は、よく精白したもち米を蒸して、しばらくみりんに浸して仕込んでおき、石臼で挽いてどろどろしたものにするという、手間はかかるが奇をてらわないシンプルなもの。
この製法は、ある夜、店主豊島屋十右衛門の夢枕にたった紙雛様から伝授されたものとは豊島屋に伝わる伝承。
ですが、江戸時代には、同じような甘酒を商う店が他にも30件ほどもあり、振り売りの白酒屋もあった。
しかし、豊島屋の人気に匹敵するほどの店はなく、あまり流行らなかったとは、先の「江戸の歳事風俗誌」の記述です。
ともかく、江戸名所図会という地誌に描かれるほどの客の殺到振りで、半日のうちに店の傍に空樽が山のように積まれたそうです。
うーむ、不思議すぎる豊島屋独占の白酒人気。
そこには、縁起担ぎの江戸人が、店主の夢枕の雛様を信じたことにもあるんじゃないかと思えてきます。
とすれば、豊島屋の商品プランニングと宣伝の勝利?
いや、確かなことはわかりませんが…。
さて、今も昔も、白酒は甘酒などとは違って立派な酒、アルコールです
江戸時代、祝いの主人公の女の子たちの口入ったのでしょうか?
「売り出しの口上」(下の写真)には、「下戸の殿方御婦人や、お子供様は申すに及ばず たとえ上戸のお方でも、ちょっと一杯めす時は、目元ほんのり桜色」などと書いてあり、言い伝えられている熱狂的な買い物ぶりを考えるにつけ、白酒は、3月3日・桃の節句にかこつけた大人の楽しみでもあったかもしれず…とついつい思ってしまいます。
もちろん、現代の豊島屋製「白酒」もアルコール7%。購入時に聞いてみたら「小さなお子さんには飲ませないでくださいね」とのことでした。
◎豊島屋⇒公式通販サイト