ということで、江戸に桜に…といえば、やっぱり「長命寺の桜餅」。
食べに行く前に、ちょっと予習などをしておこうかと思います。
で、これが、その長命寺の桜餅。
(…を昨年、ひとりで2個食いしたときのものです)
桜餅は、餅1個を桜の葉1枚で包んだのが一般的ですが、これは、写真のように大きな塩漬けの桜葉が二枚。
そこにそっと包まれている桜餅は、クレープ状の皮に餡を挟んだ桜餅で、これぞ江戸東京風。
…って、食べるのに忙しく、中身の写真を撮り忘れてます。
今年は、絶対そこも写真におさめてこよう!
対して、道明寺桜餅を桜の葉で包んだものは上方風です。
さて、長命寺桜餅のサイトによれば、
「創業者の山本新六が享保二年(1717年)に土手の桜の葉を樽の中に塩漬けにして試みに桜もちというものを考案し、向島の名跡・長命寺の門前にて売り始めました。その頃より桜の名所でありました隅田堤(墨堤通り)は花見時には多くの人々が集い桜もちが大いに喜ばれました。これが江戸に於ける桜もちの始まりでございます」
とあって、そもそもの桜餅の発祥はこの山本新六という方のアイデアのようです。
桜餅は、江戸風が先で、上方が、それを道明寺にアレンジしたと聞きますので、つまり、今あるすべての桜餅発祥もココということになりますか。
この山本新六という方、もともとは、長命寺の門番を営んでいたらしい。
当時は、八代将軍吉宗の治世。
厳しい財政改革・享保の改革の鞭に対して、飴を撒くかのように江戸に桜植樹の大事業を行い、そのころから、花見は、江戸庶民の最たる楽しみのひとつとなっていました。
そうして隅田川の堤に何本もの桜が植えられて、長命寺の門前はその桜並木を眺めるような位置関係にあった。
枝からはらはら落ちるおびただしい数の桜の落葉を眺め、門番・山本新六は、その有効利用をじっと考えます。そして、試行錯誤して生まれたのが、この桜餅なのだそうです。
花見に繰り出した庶民に愛され、長命寺門前の「桜餅」は大繁盛。
その発祥から、もうかれこれ290余年もたちますが、そういえば、上方風と江戸風のそれぞれを区別するとき、「道明寺」に対して「長命寺」と呼ばれているのを時々耳にします。
桜餅は、こうして始まって全国に伝わり、春になくてはならないお菓子としてあり続けています。
ところで、昨年。
まだそう混んでいない店頭で、長命寺桜餅をいただいていますと、
「おい、この桜餅は、隅田川のほうを見ながら食べるものだそうだよ」
と、スーツ姿の初老の紳士が連れの奥さん風にぼそっと講釈。
「あらそうですか?」と、意味不明だけどあなたがそういうなら付き合いますかという風に、ふたり仲良く川のほうを向いて桜餅を召し上がっています。
実は店に川に面した窓があるわけでもなくて、思わず「それはなぜ?」
謎解きが、長命寺桜餅のサイトにありました。
それは、「ある人、桜もちの皮(葉)ごと食べるを見て、隣の人、旦那、皮をむいて食べた方がいいですよ。あ、そうですかとそのまま川の方をを向いて食べた」
俳優にしてエッセイストだった故・小沢正一さんが教えてくれた小話だそうです。
あの紳士は、この話を途中までしか聞かなかったのかな?
それでも、その仲睦ましい光景を思うと、ふふふと楽しく思い出し笑いが出る、のどかで幸せな春の光景ですね。
個人的には、長命寺の桜餅に限らず、桜餅は、最初から葉をむいてしまわず、葉っぱも少しだけいっしょに食べたほうが美味しいと思います。
だって、あの塩漬け桜葉の香り!
実は、生の桜葉をいくら嗅いでも、あの香りは感じられません。
5月ごろに桜の木から葉を採取して、8月ぐらいまで樽で塩漬けにされ、ゆっくり発酵してこそ醸し出される独特の芳香。
桜餅って、アノ香りがあってこそですもの、それも一緒にいただきたいと思います。
そして、隅田川を見ながら食べるのも賛成!
店の真ん前は隅田川。その土手には、桜の並木が連なっています。
持ち帰りも可能なので、リアルに川の方を向いて桜の下で食べましょう。
ここの桜餅も一年中食べられるのですが、そうゆう理由で、やはり、桜の時期がいちばん美味しいような気がします。