永井荷風の生まれた日には、憧れの東・東京観光/12/3=旧10/12・戊申

12月3日は、永井荷風の誕生日です。

永井荷風の本は、今考えてみれば、通っていた女子高校の図書室に何冊かあったのが驚きです。
しかし、女子高生の私にとっては、その棚の一列だけが、なぜかのんびりとしたたたずまいに見えて、そこから、一冊抜き取った。

タイトルは『墨東綺譚』とありました。

墨東奇談

漢字が難しくて正しく読めないけれど、なんとなく惹かれる慕わしさのある本。
パラパラめくれば、大人の本だと言うのに挿絵がたくさんあって読みやすそうで、そのまま放課後、そこにどどまり読みました。

借り出すのももちろん可能だったというのに、通学バスの中で読んだり、家に持ち帰ったりするのを避けたのは、最初の数ページを読んでそこに少し隠微な感じがあったからでしょうか。
もしかすれば、かなり自由な校風だったその学校の教師から、その作風のことを聞いていたからかもしれません。
といっても、当時の女子高生は、そこに描かれる真意を理解するには幼すぎて、なんだかファンタジーを読み終えたような読後感だったことを覚えています。

そして、いちばん惹かれたのは、東京の街の描写。

特に、舞台になった向島の名は、「空襲であらかた焼けた終戦後、総武線沿線の新小岩からそのあたりまで何の障害も無く見渡せた」と、母に聞かされたのが、あまりにも印象に残った特別な地名。
その町が、荷風によって「墨東」と名づけられた場所と同じと知って、勝手にただならない縁まで感じてしまったのです。

浅草の辺りから円タクに乗り川向こうに。
あるいは徒歩で吉原遊郭に向かう山谷掘りをめざして、途中で進路を変えて隅田川を渡る。
…田舎モノには、なんだか、そんな描写が非常に「東京」な感じで憧れます。

その後、さらに『日和下駄』

こんどは、荷風の描いた東京のちょっとひねりの利いた裏通りのアレコレ。
エリアを広げて、往時の東京じゅうを散策して歩くといった感じがステキだった。
そうして、私の中では、雑誌で見た原宿や代官山あたりを押さえ、永井荷風の東京が憧れの町となってゆきます。

だから、東京近郊の大学に進学をした19歳の女子が始めて訪ねたのは、とりあえず東京の東。
原宿の竹下通りも代官山もさておいて、浅草から橋を渡り延々歩いて向島へ向かいます。

しかし荷風が逝ってずーっとたって、経済成長に荒らされてしまったからか、それともやはり散策する身が幼すぎたか、その界隈の面白さがわかるはずもありません。

結局、その散策の続きを面白がっているのは、20年以上も軽くたってしまってからです。

永井荷風の誕生日が晴れたなら...。

ちょっとくたびれがちの岩波文庫版『墨東綺譚』をコートのポケットに突っ込んで、向島界隈の散策と洒落込みます。

いまならスカイツリーがこのぐらいの大きさでせまりくる場所。

スカイツリー

いや、向島百花園からの方がよりリアリティあるかな。

百花園からスカイツリー

というのも、『墨東奇談』の舞台となった玉ノ井は、今なら、墨田区の東向島界隈。
百花園にほど近いあたりです。

当時はもちろんなかったスカイツリーのせいで、ちかごろちょっと騒がしくなりつつありますが、まだまだ基本は変わらず。
何度も訪ねるうち、スルメをかみ締めるように魅力が増す町でもあります。

それは、スカイツリー以前には、再開発という名の乱開発の手に、余り触れられなかった町の幸運によるものでもあって、荷風が愛した町の風情…と江戸の名残。
そんなものを、読者がたどって歩く楽しみすらも、一見かすかに、でも”きっぱり”と残されています。

ということで、永井荷風おじさま、お誕生日おめでとうございます。

毎年雨が降れば、外出はあきらめ暖かな部屋で何回目かの『墨東綺譚』。
想像の中で、たっぷりと、憧れの東京観光を楽しみますが、今日は、向島まで行けそうです。

ところで、あの世のほうはいかがでしょうか?
そちらにも、下駄をつっかけ、からころ気ままに散策する場所はありますか?

◆今日は、2014年12月3日/旧暦10月12日/神無月戊申の日
◆日の出 6時33分 日の入16時28分/月の出14時18分 月の入 2時46分