1月21日は、弘法大師さんの初縁日「初大師」です。私は、いそいそと、ご近所の西新井大師へお参りにゆく/1/21=旧12/2・丁酉

今日は、初大師。

毎月21日は、弘法大師さんご縁日、そして、今日はその最初、「初大師」です。

「大師」は、高僧に対し、朝廷から与えられる尊称で「弘法大師」は、「空海」に与えられた名前。
ほかにも、いろいろな仏教宗派のお坊さんたちも「大師」の尊称を持っていますが、単に「大師」といえば、それは弘法大師さんのことです。

これは、弘法大師さんが現世で活躍していた時代、つまり空海さんだった時、教科書的な「日本に密教を伝え真言宗を開いた高僧」という話を超えて、謎とスペクタクルな伝説に満ち満ちた、他に比類なきお坊さんであった証拠なのかもしれません。

弘法大師=空海さんのスペクタクル伝説を少々

実は、その伝説。
日本全国津々浦々に、しかも様々に伝えられ、ひとつひとつ追っていっても生半可には追いつかない数なんです。
たぶん、それだけ研究されている方もいるんじゃあないかなぁ…というぐらいかと。

ということで、ここでは超有名と思えるところを箇条書きにて紹介にとどめたく、
だって、マジきりがないんですよね。
(出典は、空海さんが開いたとされる高野山金剛峰寺のHPです)

1.その出生

もうしょっぱなからすごいですよ。
「天竺のお坊さんが紫色に輝く雲に乗って、母親の懐に入った」夢を両親同じに見たら、その日空海は生まれた…とされます。
これって、摩耶夫人が、六本の牙を持つ白象が夢に現れ、釈迦の誕生を予言したのに匹敵する高尚さにも思えますがいかがでしょうか?

2.遣唐使時代のスペクタクル

空海さんは、大学で儒教を学びますが、当時、出世の道具にすぎなかった学問に見切りをつけて、あっさり出家。
僧となって、真理を探しつづけ、ついに遣唐使の一員となって唐に渡たります。

これは、有名な話ですが、が、その帰国直前の伝説がスペクタクルで面白い。

場所は、船がでる明州(みんしゅう)の浜辺。
空海さんは、そこから日本の方角へ、密教の道具である「三鈷」を投げ、「私が受けついだ、教法を広めるのによい土地があったら、先に帰って示したまえ」と祈る。

ちなみに、「三鈷」とは、空海さんの像が持っているコレです。

弘法大師像

…と、「三鈷」は日本に飛んで高野山の松の枝に引っかかった。
で、高野山に金剛峰寺が開かれた…というわけ。

しかし、それって、どんだけの距離?

3.帰国後の奇跡三昧

唐からの帰国後。
・雨乞いの御祈祷⇒竜王を呼び大日照りが続いた日本を救う、
・同じく祈祷⇒流行り病を鎮める。

・四国を遍歴⇒各地でいろいろな奇蹟霊験を起こし、そこにも残る数々の伝説。
…がすみません割愛です。
このとき開いた八十八ヵ所の霊場がいまの四国遍路の各ポイント。
「同行二人」で、弘法大師さんと一緒に歩く、四国八十八箇所として残っているというわけです。

・庶民のために学校を作り、読み書きを簡易に学べるように「いろは歌」を作った。
なんてのは、ほのぼの普通の話に思えちゃうぐらいなもんです。

4.空海さんらしい死…というか永遠の存在に。

まず、自ら、承和2年(835年)3月21日寅の刻、62歳のときと決められた。

そして、そのとおりに実行。
手に大日如来の定印を結び、弥勒菩薩の三昧して、予告どおり3月21日寅の刻に入定。

自らの意思で生死の境を越えて宗教的瞑想に入りました。
だから、21日はご縁日。
そして、正確には空海さんはまだ死んではいないのです。

高野山開創1200年の平成27年にも、まだ金剛峰寺の奥之院にいらっしゃると考えられ、今も、維那(いな)と呼ばれる空海の世話役を務める僧侶が、毎朝、御廟にいる空海さんに食事を届けているのだそうです。
そして、その御廟の中がどうなっているのか、代々の維那は他言せず、他は誰一人知りません。

全国に広がった弘法大師伝説

ある時期、高野山が、火災に見舞われます。
そして、その復興の資金の喜捨目的で「高野聖」たちを全国派遣した。

彼らは、日本の津々浦々まで廻り、弘法大師のこの奇跡伝説の数々を語りました。

そうして、不思議さを纏った、弘法大師伝説は全国に広がり、由来の寺社が全国に建てられることにもなったのでした。

以上、弘法大師さんの伝説のごくごく一部。
様々探してみるときりがなく、しかし、その物語は、ヘタな小説よりずっと面白いのです。                              

今日はそんな弘法大師さんの初縁日。

関東地区では、川崎大師と西新井大師あたりが有名です。
私は、ご近所の西新井大師へ。

山門には、大きく「初大師」と掲げられ、境内は、参詣者でたいそうな人ごみです。

初大師

その境内が半端なく広く、そのスペースを埋め尽くすかのような莫大な数の露天を見るのも楽しみの一つ。
参道ではもちろん、スペースが足りず、本堂の左右と裏まで広がって、これほど大きな市はたぶんあまり存在しないのではないだろうかと思われます。

よくある祭り用の食べ物露天以外に、近隣から集まった風の人々による野菜や花々、海産物に乾物、衣類やら縁結びのリングやらまで商っている。
いちばん多いのがだるまの露天かな?

達磨の露店

…とその前にお参りをしなくちゃね。

はっきりいって巨大過ぎる本堂。

西新井大師 本堂

お参りの前に、拝殿前にたどりつくのがけっこう大変なぐらいな大きさですが…。

ご本尊様の前に飾られた大振りの松飾を眺めるのも楽しい。

松飾
(…写真見つからずで、ウサギ年のもので恐縮ですっ!)

西新井薬師は、庭園の大きさも有名で、初大師の頃は、例年梅がほころんでおります。

本堂と梅

ああ、寒い時期とはいえ、初大師は欠かせないかなぁ…と思うのは、コレですかね。
スペクタクルな存在の空海さんの持つ躍動的なイメージに、にぎやかな露店の売り声、そして梅。

そろそろ、ココロが春を探しているんですね。

◆今日は、2015年1月21日/旧暦12月2日/師走丁酉の日
◆日の出 6時48分 日の入16時56分/月の出 6時53分 月の入17時54分