2月23日は「富士山の日」です。2=ふ、2=じ、3=さん…と、記念日由来にありそうな語呂合わせなんだけどねぇ。/2/23=旧1/16・乙亥・満月

2月23日は、2=ふ、2=じ、3=さんで、富士山の日!

なんだよ、またも苦しい語呂合わせかいっ!と最初思いましたが、東京あたりから富士山を見ようと思ったら、晴れた冬の日が最適。
ってコトで、あながち外した記念日でもありません。

まあ、この種の理由で制定された記念日がことのほか多いというのもあって、慣れもある…けどね。

制定は、パソコン通信の「山の展望と地図のフォーラム」による(1996年1月1日)
富士山好きのヒトたちが言い出して、制定することにしたみたい。

富士山の見える県の観光協会あたりの制定かなぁと思っていたけど、こうゆう富士山好き有志たちによる記念日ってのがいいですね。

ちなみに、これにやや遅れて別に、山梨県河口湖町も(2001年12月)、静岡県も(2009年12月)「富士山の日」を制定しているみたいです。
となれば、今日はいろいろ行事もあるんでしょうね。

我がご近所の「富士見坂」は、今は名ばかりとなり…。

以前なら、今ごろがいちばん美しく富士山が望めた台東区の富士見坂なんですが、今は撮りためた写真をとりだし眺めるのみに。

富士見坂の富士山

実は、2013年の6月ごろに大きなマンションが完成し、とうとう眺望が遮られてしまいました。
ってコトで、富士見坂の写真を1枚必ずこの日ここに掲載するのが、私流の富士山の日の祝い方。

ビルがたっていようとも、西のほうには美しい富士山が変わらずいらっしゃるってこと想像して楽しみます。

さらに、江戸の浮世絵というタイムマシンに乗る。

いや、そういうつもりで、例えば歌川広重の「名所江戸百景」とかを眺めて江戸市中からの富士山を妄想。

江戸名所百景のポストカード

トーハク(東京国立博物館)で買いためたポストカードを取り出し眺めるだけですが…。

葛飾北斎の「冨嶽三十六景」で江戸市中からの富士山の眺望妄想が加速したり。

実は、トーハクのポストカードの「冨嶽三十六景」は、江戸市中からのものが売られていないので、こちらはネットで探します。

ちなみに「冨嶽三十六景」の46図中、江戸から見た富士山は18図。

三十六景なのに、46図って間違いでは?
いやいや、当時、人気ありまくりで、追加で10図描いたのでした。
当時も今も、やっぱり富士山ってのは人気者です。

今年も、江戸市中からの18図をウキペディアの図にリンク貼りました。
よろしかったら、富士眺望妄想にご活用ください。

1.江戸日本橋→日本橋川に架かる日本橋から、一石橋、江戸城。そして富士山。

2.江都駿河町三井見世略図→現在の中央区日本橋室町から見えるはずの富士山。瓦職人が作業をしているのは、呉服の越後屋(=今の三越)。つまり、日本橋三越界隈の高層ビルからなら今も富士山が見えるのか?見えるなら見せてほしい!

3.東都駿臺→現在明治大学や三省堂書店のある駿河台のあたりからも見えていた。実際、富士見坂という名の坂…というか看板がありますね。

4.東都浅草本願寺→現在も、浅草寺と上野駅の中間ぐらいにある本願寺。その大屋根越しに富士を遠望の図。ってことは、今も屋根に登れば…。と妄想したところで、この構図って飛行機とかヘリコプターからの視線じゃないとわからないよねと思う。北斎ってすごいな。

5.本所立川→場所は、隅田川の東岸に位置する本所深川のあたり。江戸の当時は材木屋が多かったんだぁ…と思いつつ。

6.深川万年橋下→万年橋は、今も深川の小名木川に架かる橋。芭蕉歴史庭園に行くのによく渡りますが、今はもちろん富士山は見えません。ちなみに北斎は、この深川万年橋付近に住んでいた時期があるらしい。

7.五百らかん寺さざゐどう→羅漢(らかん)寺はかつて、亀戸村(江東区大島)にあって(現在は目黒区に移転)、境内には、回廊が螺旋状に続く三匝堂(さんそうどう)があり、その回廊から隅田川ごしに臨む富士山。素敵っ!

8.青山圓座枩→円座の松は、原宿村の龍巌寺境内にあった名木。今は松はなさそうだし、富士山もぜったい見えないだろう。しかし、原宿から富士山はこんなにでかく見えるのか?誇張した?ちなみに、寺は渋谷区神宮前二丁目に今もにあるそうです。

9. 隠田の水車→隠田も、現在の渋谷区にあった村。今の渋谷川は、暗渠の中だけど、江戸時代には、水車まであったんだ!富士山も見えたんだぁ!

10.下目黒→渋谷から富士山が見えたなら、目黒周辺はもちろん。たしかに、ずーっと前に、目黒駅から恵比須方面へちょっと戻る途中の坂からひょいと見たら、完璧なカタチの富士山を見たことがあります。今やそれがどこかもちょっとわからずじまい。

11.礫川雪ノ旦→礫川は、現在の文京区小石川あたり。ああ、なんと風情ある富士の眺め。

12.御厩川岸より両國橋夕陽見→両国と蔵前をつないていた「厩の渡し」。もちろん通称「富士見の渡し」と呼ばれていた。乗りたいです。

13.隅田川関屋の里→関谷は、日光街道の宿場町千住宿、現・足立区千住のあたり。となれば、北千住駅前の丸井かルミネの最上階あたりから富士山みえたりして…とにわかに期待が高まります。

14.武州千住→やはり、日光街道の宿場千住宿、つまり今の荒川区と足立区のあたりからの富士。これも北千住駅の丸井&ルミネ案件(笑)。

15. 従千住花街眺望ノ不二→現在の台東区の山谷のあたり。参勤交代の列は、このまま富士山に別れを告げて日光街道を東北方面に向かうのだろうね。逆に、東北から上ってきて、富士山が見えたら江戸の入口ってことかぁ。

16.武陽佃嶌→現在の地名も同じく佃島。ああ、もしかしてあそこの高層マンションからは富士山が見える?

17.武州玉川→多摩川から臨む富士山。今も、晴れているなら、JR東海道線に乗って川崎の手前、多摩川を陸橋で越えるときに富士山が見えます。進行方向右の出入り口際を確保して、いつも富士見に備える私。ただし、残念ながら晴れた日は少ないんだよなぁ。

18.東海道品川御殿山ノ不二→現在の品川区御殿山からの富士山。富士と桜を眺めつつ宴か….うらやましい。

ふーっ。
江戸の町は、富士山の眺望を活かして作られたという説があるけれど、いずれもそれを証明する光景です。
江戸人たちは、日々富士山に見守られている安心感って、あったんじゃあないかしら?

平成の世の東京からは、富士山は、ほとんど見えなくなったけど、時々ひょんなところから顔を出し、ああ、やっぱりいらっしゃったぁ!
と嬉しくなるのも富士山の比類なき魅力。

たとえば、東京国立競技場をとっぱらったら…。

空がスコーンと抜けて、富士山が見えそう!と思っていたら…。
国立競技場の予定地

実際、富士山が見えてるんだとか!⇒富士見坂眺望研究会のサイト「明治神宮外苑聖徳記念絵画館前からの富士

そう知って、もう一度、行ってみましたが、晴れた日の日中は、太陽のヒカリが強すぎてちょっと無理。
ヒカリが強くない早朝か日没後しか見られないみたい。
…となると、早寝の私にはやや難しい。早朝に行ってみる?

とにかく、新しい国立競技場が経つまでの期間限定の富士見。
ああ、となると、競技場なくてもいいのになぁ…と私なんかは思うなぁ。

いや、作るのはいいけど、富士山が見える展望コーナーとか、カフェとか作ってくれないかしら?
オリンピック終わったあと、スポーツにさして興味がない人(←けっこういると思うんだよね)へも魅力的な場所になると思うよ。

◆今日は、2016年2月23日/旧暦1月16日/睦月乙亥の日/満月!
◆日の出6時20分 日の入17時30分/月の出18時02分 月の入6時20分